「こんにちは赤ちゃん」梓みちよさん逝く!恋多き女の奔放人生、小倉智昭「面白い人だった」

糖の吸収を抑える、腸の環境を整える富士フイルムのサプリ!

   「こんにちは赤ちゃん、わたしがママよ~」や「二人でお酒を飲み~ましょうね~」などの名歌で知られる梓みちよさんが亡くなっていたことが分かった。享年76だった。

   1月29日(2020年)、出演の打ち合わせをしようとしたマネージャーが連絡がとれず、梓さんの東京都内の自宅を訪ね、亡くなっているのを発見した。死因は急性心不全とみられる。

   歌唱力と表現力、歯に衣着せぬ発言で人気を集めた梓さんは福岡県出身だ。宝塚音楽学校在学中に渡辺プロのオーディションに合格、歌手デビュー。1963年に「こんにちは赤ちゃん」が大ヒット、日本レコード大賞を受賞し紅白歌合戦に出場した。

初の天覧歌謡曲、昭和天皇の前で「こんにちは赤ちゃん」

   1964年には昭和天皇の前で「こんにちは赤ちゃん」を披露して初の天覧歌謡曲と言われたものだ。これが逆に清純派のイメージを固定することのいなり、苦しんだ。しかし、「二人でお酒を」が大ヒットして、大人の女性へのイメージ転換を果たした。あぐらを組んで歌う大胆なスタイルも話題となった。歌手の他にも司会や舞台で活躍した。

   プライベートでは1971年に俳優・和田浩治さんと結婚、1972年にスピード離婚、その後は独身を貫いた。気が強く恋多き女でも知られた梓さんは、しばしば不倫交際でワイドショーを賑わせた。「仕事中はノーブラ、ノーパン」と明かしたこともある。自由奔放な人生を貫いた。

   キャスターの小倉智昭「男性的なところがあり、話術が達者で面白い人でした。でも、昭和を彩ったこれだけの大スターが誰にも看取られず、一人で亡くなっていったっていうのが切ないですね。ご冥福をお祈りします」

   カズオ

姉妹サイト