「スーパーJOCKEY」は日本テレビで1983年から1999年まで、毎週日曜日13時から1時間枠で放送されたバラエティー番組です。
私がディレクターとして初めて1本立ちし、司会のビートたけしさんと出会った思い出深い番組で、日曜日の昼間に"明るく、健康的な刺激と色気"を提供しようとスタートしました。
「たけし軍団」のデビュー番組でもあり、最初に評判になったコーナーは「THEガンバルマン」で、たけしさんとたけし軍団が、体を張っていろいろなことに挑戦したものです。
番組が始まった頃の苦い思い出があります。「熱湯風呂」コーナーで生放送の最中に、突然風呂が割れてしまったのです。スタジオは、当然大騒ぎで、当時のレギュラーだった東八郎さんたちが、飛び回っていました。私は、愚かなことに、番組の体裁を考えすぎて、カメラマンに「その絵を撮るな」という指示を出してしまったのです。あとで、「千載一遇」の生放送の"ハプニング"を撮り逃してしまったと猛反省しました。そのときから、番組の主義として「その場でしかできないことを大事にする」と、心に決めました。
天才芸人のたけしさんとの仕事が楽しくて仕方なかった
私にとってビートたけしさんとの出会いは、人生において非常に大きな意義を持っています。芸人・映画監督としての才能・技量が素晴らしいのは言うまでもありませんが、私が素晴らしいと思うのは、絶対に威張らないことです。
それと、ご自分でもおっしゃられていますが、お弟子さんを大事にすることです。その理由は、たけしさんが芸人を目指し始めた頃、誰に師事していいかわからなくて不安だったことを思い出すからだというのです。
たけしさんと出会わなければ、今日の私はないと言っても過言ではありません。ディレクターとして1本立ちした初めてのレギュラー番組の制作過程でたけしさんに教えたもらったことも多かったですし、何より時代を代表する、威張らない天才芸人と一緒に仕事ができることが、楽しくて仕方なかったのです。テレビの世界で、なんとか今まで生きて来られたのも、たけしさんのお陰に負うところが大きいのです。
私が報道局のニュース編集部長のときにも大変お世話になりました。2001年のアメリカ同時多発テロ事件の特番で、翌2002年9月に一緒にニューヨークから特別生放送をしました。たけしさんに司会・案内人として活躍していただき、30%を超す視聴率を上げました。
たけしさんには、本当に感謝しています。ありがとうございました。
次回は、「スーパーJOCKEY」のもう一つの名物コーナー、「熱湯コマーシャル」についてお話ししたいと思います。