無期懲役に万歳三唱の「新幹線殺傷」小島一朗!彼にとって心休まり過ごしやすいのは家庭や社会より少年院や刑務所

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   12月22日(日曜日)に行われる「有馬記念」のことで頭がいっぱいだ。史上最強牝馬アモーンドアイがダントツ人気だが、死角はないか。私はアーモンド2着説だが、その根拠はあす書こう。

   今週一番ショッキングだったニュースは、昨年6月9日(2018年)に起きた新幹線殺傷事件の小島一朗被告(23)が、横浜地裁が無期懲役の判決をいい渡した後、「万歳三唱」したことだった。彼は、逮捕されたときから、「刑務所に入りたい」「出たらまた人を殺す」と、精神的に病んでいるとしか思えない言動を繰り返していた。

   彼は精神病院へ入っていたことがあるから、犯行時は心神耗弱状態だったと弁護人が主張し、病院送りになるのではないかと思っていた。その上、この「ばんざ~い」である。週刊新潮の「小島一朗独占手記」を読んで、彼が刑務所に入りたがっていた理由を、私なりに理解できた気がした。

   これはノンフィクション・ライターの「インベカヲリ★」が何度も小島容疑者に接見をし、手記を託されたという。小島は愛知県生まれで、元の名を鈴木一朗という。同県出身のイチローと同じだ。小島になっているのは、事件の前年に母方の祖母と養子縁組をしたから。

   母親はホームレス支援の仕事をし、夫婦共稼ぎだったため、彼は3歳まで母方の祖父母の家で育ったという。3歳になると、一家全員が揃って暮らすようになったが、同居していた父方の祖母が彼を快く思わず、いびり、中学生になって反抗すると、祖母は包丁を振り回して、彼の食事や入浴を禁じたそうだ。

   父親に包丁を向ける事件を起こしたが、その目的は「ご飯が食べられないから国に食わせてもらう」、少年院に入るためだった。父親と離れ、母親の勤め先の「貧困者シェルター」に入居したという。定時制高校卒業後、就職したが病気で退社。3歳まで育った家に住んだが、伯父によって追い出され、以降、家出してホームレスと精神病院への入退院を繰り返してきた。

狂人的思考ではなく、現代の若者の中に澱のように沈殿している「何か」

   小島の頭の中には、衣食住が保障され、仕事があって、人権が守られているところにいたいという思いがあるようだ。それは家庭ではなく、少年院や刑務所なのだ。ホームレス生活を続けながら、小島が行き着いた先が長野県木曽郡の景勝地「寝覚の床」だった。当初、家族に迷惑をかけまいと厳寒の地で餓死しようと考えていたというが、3月16日にかけた祖母との最後の電話で、「養子縁組を解消する」といわれ、刑務所しかないと思い定めたというのである。

   この後、新幹線の中で人を殺そうという計画を立てたそうだ。「あとは私の心の倫理的な問題だけだった。果たして見ず知らずの人を殺すことは赦されるのか。法によって許される、のではなく、私自身が赦すのかという問題だ」(手記より)。それに「刑務所に入るのは子供の頃からの夢である。これを叶えずにどうして死ねようか」(同)

   「寝覚の床」の東屋で起きた木曽署の警察官とのトラブルも、計画を後押ししたようだ。雨の降る中、警察官3人に「ここから出ていけ」といわれる。小島は「雨が止んだら出ていく」と主張して譲らない。警官たちは「出て行け、邪魔だ」といい続ける。小島はこういう。「私には生存権がある」。すると、警官たちは彼の荷物を取って挑発してくる。

   小島は「ホームレス自立支援法第11条に基づいて、まず社会の福祉を尽くしてから、法令の規定に沿って排除してください。生活保護の話をして、それでも私が受け入れなかったら、行政代執行してください」。警察官は「権利、権利ばかり主張して義務を果たしているのか?」と反論した。

   小島はこういい返す。「生存権、その基本的人権は生まれながらにして持っている権利であって、何かの義務を果たさなければ与えられない権利ではない」

   警官の挑発はエスカレートしていき、小島はケガを負うが、病院へ行くことは拒否する。役所の人間や警官に対して、カントやフロイトを持ち出して反論。そしてこう考えたそうだ。「警察すら、法律を守る気がないのに、自分だけ守っていてもしかたない。自分の人権は守られないのに、他人の人権を守っていてもしかたない」

   3人殺したら死刑になるから、2人にして無期刑になり、刑務所で一生を終えたいと考えたという。<「一人を殺して二人に重傷を負わせたから、これでもう無期が狙えると思った」>(週刊新潮)

   長々と引用したのは、この手記を多くの人に読んでもらいたいと考えたからだ。たしかに小島無期刑囚は精神を病んでいるが、この若い男をここまで追い込んだ、家族や社会の問題も問われなくてはいけないはずだ。

   手記を読む前と後では、小島に対する見方が変わった。彼にとって少年院や刑務所のほうが、家庭や社会より過ごしやすいのに違いない。22歳の小島が考えたことは、決して狂人的思考ではなく、現代の若者の中に澱のように沈殿している「何か」ではないのか。被害に遭われた遺族や被害者には思い出したくもない悪夢であろう。申し訳ないとは思うが、今一度この事件を考えてみたいと思っている。

へべれけ伊藤詩織をホテルに引きずり込む山口敬之―ドアマンが見た準強姦の一部始終

   今週の週刊新潮は読みどころが満載である。12月18日、東京地裁である判決が下された。「望まない性行為」で精神的苦痛を受けたとして、ジャーナリストの伊藤詩織(30)が元TBS記者の山口敬之(53)に対して、1100万円の損害賠償を求めていた訴訟で、伊藤の訴えを認め、山口に330万円の支払いを命じたのである。「酩酊状態で意識のない彼女に対し、合意がないまま性行為に及んだ」と鈴木昭洋裁判長が認めた。

   この事件を最初に報道したのは週刊新潮だった。判決は締め切りに間に合わなかったが、山口が伊藤詩織を連れ込んだ、東京・白金のシェラトン都ホテルで、事件当夜、ドアマンとしてエントランスにいて、タクシーから彼女が引きずり出される様子を目撃していた人間の証言を採録している。彼女はタクシーの中で、自分が吐いた汚物を指して、「そうじするの、そうじするの、私が汚しちゃったんだから、綺麗にするの」と、幼児の片言みたいに繰り返していたという。

   無理やり降ろされた伊藤は、<「足元がフラフラで、自分では歩けず、しっかりした意識の無い、へべれけの、完全に酩酊されている状態でした。(中略)そのままホテル入口へ引っ張られ、『うわーん』と泣き声のような声を上げたのを覚えています」>

   ドアマンが、この男女が何者であるかを知るのは、週刊新潮が記事にし、伊藤詩織が記者会見してからだった。会見をテレビで見たドアマンは、<「まるで別人でした。自分では歩けないから、男性が手を強引に引っ張ってホテルの玄関に入って行きました。私はそれを唖然として見送りました」>

   伊藤が山口を刑事告訴し、高輪署からも強行犯係の2人の刑事がドアマンに話を聞きに来た。高輪署が裁判所から「準強姦容疑」で逮捕状を取り、アメリカから山口が帰国するタイミングで逮捕するべく成田空港でスタンバイしているとき、当時の警視庁刑事部長で、現警察庁ナンバー3の中村挌が中止命令をかけたのである。当時、週刊新潮が中村を直撃すると、「(逮捕は必要ないと)私が決裁した」と認めている。

   山口はTBS時代から安倍首相と親しく、フリーになってからは安倍のヨイショ本を出している。中村も菅官房長官の秘書役を長らく務め、絶大な信頼を得ていた。その後、警視庁本部から書類送検を受けた東京地検は、ほぼ1年後に不起訴と判断。伊藤詩織は検察審査会に審査申し立てを行ったが、「不起訴相当」の議決が出ている。

   伊藤は諦めなかった。週刊新潮にこう語っている。「この民事訴訟を通じ、私が求めていたのは裁判の判決自体ではなく、それまでの刑事事件の手続きでは分からなかった部分を明らかにすることでした。ホテルのドアマンの方がお話してくださるようになったのも、訴訟を提起したからだと思っています」

   伊藤と山口の2人は、19日(2019年12月)に外国特派員協会で会見を開いた。特派員たちの判断は、聞かなくともわかっている。伊藤詩織というのは凄い女性だ。山口は女性を見る目がなかったと同時に、安倍官邸の権力にすがったことが、男としても人間としても間違いだった。

豪放伝説の面影なかった晩年の梅宮辰夫・・・娘アンナに翻弄されて豪邸売ったり、見舞いも来ないがん療養生活

   男といえば、映画「不良番長」や「仁義なき戦い」で知られる梅宮辰夫が先日亡くなった。享年81。週刊新潮と週刊文春が追悼特集をやっている。週刊新潮のほうは、梅宮がこれまで語ってきたものをまとめたものだ。石原裕次郎や鶴田浩二、菅原文太らの思い出から、銀座で浴びるほど飲んで遊んだ話、勝新太郎から「女房の玉緒がお前のファンだとうるさいから、1回寝てやってくれ」といわれた話、6回のがんの話など、痛快な梅宮の思い出が詰まっている。

   週刊文春は少し違う。豪快だった梅宮だったが、晩年はカネがなくなり、渋谷区松濤の瀟洒なマンションまで手放したと書いている。梅宮はプレイボーイの名をほしいままにしていたが、娘が生まれてからは、銀座へも行かず、仕事が終わると家にまっすぐ帰る良きパパだったという。

   親の心子知らず。18歳でモデルとしてデビューしたアンナは、11歳上の羽賀研二と親しく付き合うようになる。羽賀は後に詐欺と恐喝未遂で服役することになるが、その羽賀に3億円の借金があることが発覚する。アンナは余計に燃え上がり、自分の稼ぎも羽賀に貢いだのだ。

   羽賀の借金は膨らみ、梅宮も2000万円融資したという。羽賀の次は2歳年上の会社社長と「できちゃった婚」をするが、この社長が偽物で、違法カジノのスタッフ上がりで、プータローだったため、2年で離婚。最近も、妻子ある企業経営者と不倫関係になるなど、男を見る目はまったくないようだ。

   アンナは仕事もいい加減で、最近ではテレビショッピングなどに出ているが、浪費癖が治らず、梅宮がカネを振り込むということもあったという。ついに松濤の家を売り、神奈川県舞鶴町の別荘に移り住んだ。そして、前立腺がん、尿管がんの手術を受け、入退院を繰り返していた。アンナは10日に1度ぐらいしか見舞いに来なかったそうだ。

   梅宮は最後まで、「娘と孫が心配だ」といっていたという。父親って大変なんだ。お疲れ様でした。(文中敬称略)

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。

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