44歳の長男を刺殺したとして、殺人罪に問われた元農林水産事務次官の熊沢英昭被告(76)の裁判員裁判の判決公判で16日(2019年12月)、東京地裁は熊沢被告に懲役6年を言い渡した。
裁判では、殺害された英一郎さんが中学生のころから壮絶な家庭内暴力を繰り返していたこと、被告の妻が息子の暴力が原因で29年前からうつ病を患っていたこと、被告の長女が5年前に自殺していたことなど、崩壊した家族の状況が明らかになった。
「長男は3歳児に戻って泣いていた」と専門家
英一郎さんは事件の1週間前、一人暮らしの自宅から実家に帰ってきた。その翌日、リビングで母親を前に「お父さんはいいよね。東大を出てなんでも自由になって。(僕の)44年はなんだったんだ」と言い、床に突っ伏して号泣した。その直後、リビングに入ってきた被告が「(一人暮らしの家の)ゴミを片付けないとな」と話しかけた。
すると、英一郎さんは「お前らエリートは俺をばかにしている!」と激高、熊沢被告の髪をわしづかみにしてサイドテーブルにたたきつけた。熊沢被告はこの時の気持ちについて、「体に震えがくるほどの恐怖心を覚えた。殺されると思った」と話した。
引きこもりの実態に詳しい、東洋大学の小島貴子准教授はこのエピソードに着目。「私は被告の状況よりも、英一郎さんがリビングで号泣したことに心を痛めました。引きこもりには色々な形がありますが、彼がリビングにいたということは、自分の存在を家族の前に出していたということ。『44歳にもなって親の期待に何一つ応えていない自分ってなんだったのか』と泣く姿を、両親に見せたというところを感情的に拾ってあげたい」と話す。
「英一郎さんがこの時に欲しかったのは、『本当につらいよな』という共感の言葉と、泣いている息子に心の底から寄り添うこと。3歳の子どもは『見て、見て、聞いて、聞いて』という自我の発露があり、それを親がすくっていると安心して色んなことに挑戦する。この状態は、3歳児に戻って、自分のつらさを家のリビングで出せたということ。一人暮らしをさせられていたという気持ちもあったのではと思います」と小島准教授。
熊沢被告は最後まで寄り添うことをしなかった
そして熊沢被告から長男に送った995件にのぼるメールについては、「関わっているというより指示している。感情的な寄り添いはなく、ああしなさい、こうしなさいと、行動に対する指令をしているだけなんです」と指摘した。
青木理(ジャーナリスト)「(周囲に相談しなかったのは)エリート官僚のプライドもあると思う。家庭をコントロールできていないことは評価されませんから。英一郎さんもいじめや才能のなさで挫折し、鬱屈してしまった。すべてが内に、内に向かってしまった。やっぱり周囲への相談です」
小島准教授「子どもに対しては、『家庭内暴力が起こしたらしかるべきところに通報する』と毅然と宣言しないといけません。英一郎さんにとって『殺すぞ』という威嚇は武器だったのだと思いますが、第3者が入ってそれはダメだと教えないといけない時期にそれができなかった。被告は自分が助けることはあっても助けてもらったことは皆無だったのかもしれません」