10月(2019年)に亡くなった元国連難民高等弁務官、緒方貞子さん原動力は「現場感がないと人は説得できません」という徹底した現場主義だった。晩年は他者への関心を失った日本を憂い、「あまりにも外の広い世界に対し思いやり、関心が弱すぎる」とメッセージを送り続けた。
国際政治学者として日本の大学で教鞭をとっていた緒方さんが、国連の仕事を経て、女性初の難民高等弁務官に就任したのは63歳の時だった。直後に湾岸戦争が起こる。混乱の最中に訪れたイラクで目のあたりにしたのが、トルコ国境で行き場を失い、迫害されて命の危険にさらされた数十万人のクルド人たちだった。
「命を守る以外にないんですね、最後は。どこであろうと、生きてもらうことに尽きてしまう。それが人道支援の一番の根幹にあると思います」。そこから生まれたのが現場主義だった。長年、補佐官として彼女を支えた現在の難民高等弁務官、フィリッポ・グランディ氏に緒方さんのブレのない決断が受け継がれている。
「私が内戦のコンゴにいた時です。非常に危険な状況になって、命を危険にさらしても難民保護のために留まるべきか、撤退すべきか。その決断を迫られました。そこで緒方さんに電話したところ、彼女は『もし留まれば難民の命を救うことができそうですか』と聞いてきました。できると思うと答えると、彼女は『それなら留まるべきです』と」
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に勤めるマリン・ディン・カシュドムチャイ氏が体験したのは、緒方さんと一緒に旧ユーゴスラビアの難民テントを訪れた時のことだった。「一家のおじいさんが、『客人が来てくれたのに、何のおもてなしもできない』と泣き出したんです。すると、緒方さんはそこにあった古いミルクを飲みほした。おじいさんは本当に喜びました。思い出すと涙が止まりません。厳しい時代にこそ、彼女のようなリーダーが必要なのです」
難民救済の足を引っ張り続けるトランプの「アメリカファースト」
緒方さんがJICA(国際協力機構)の理事長に就任し、強いリーダーシップで難局を乗り越えたことがあった。労働力として期待され、日本に来ていた日系ブラジル人が、大量に解雇された時のことである。当時、部下だったJICA職員の田中雅彦氏は日本人の傲慢さについて、こう怒られたという。
「『日本が調子のいい時は日系の方々を呼んで、調子が悪くなったらみなさんを帰す。あなたそれで平気なんですか』と。彼女は『ミッションのためならルールを変えればいい。乗り越える方法を考えなさい』といわれました」
この時、各地で日本語教室を開催し、引き続き日本国内で仕事が得られるように後押しした。海外で難民など支援するのが主任務だったJICAにとっては、前例のない取り組みだったという。
30時間に及ぶ緒方さんへのインタビューをもとに回顧録を出した一橋大の野林健・名誉教授は次の緒方さんの言葉が強く印象に残ったと話した。「緒方さんはいろいろな難しい決定をなさった。それは世界的な評価として確定されているのですが、そうした手柄を聞こうと何回か質問しました。ところが、いつも同じで『それは時代がそうさせたのです。私は時代の要請に従ったに過ぎない。誰がトップに立っても同じような判断をしていたと思います』でした」
緒方の弱者に寄り添い、手を差し伸べる現場主義が、いま岐路に立たされている。緒方さんはトランプ大統領の「アメリカファースト」を、「難民への無関心を広げる」と深く憂慮していた。
緒方さんと親交が深かった前駐米大使の佐々江賢一郎氏(日本国際問題研究所理事長)が彼女から繰り返し聞かされたのは、「日本は内向きになってはいけない」だったという。
*NHKクローズアップ現代+(2019年12月11日放送「緒方貞子 今を生きるあなたへ」)