ジャニー喜多川の功績は認めるが褒め過ぎじゃないか・・・週刊文春の「セクハラ報道」触れたのは朝日新聞だけ

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   今週最大のニュースはジャニー喜多川が亡くなったことだろう。享年87。なにしろ、朝日新聞が1面で取り上げ、社会面でも彼のこれまでの功績を長々と書いたのだから。スポーツ紙は全紙、1面全部を使って報じた。「キムタク『ゆっくり休んでください』ジャニーさん天国へ」(日刊スポーツ)、「SMAP 嵐・・・帝国築いたアイドルの父 ジャニー喜多川さん逝く」(スポーツニッポン)など、最大限の賛辞を贈った。

   残念ながら、週刊新潮も週刊文春も締め切りに間に合わず、誌面には載っていない。もしかすると、週刊誌嫌いだったジャニー喜多川が、両誌の歯ぎしりする日を選んで逝ったのかもしれない。

   もちろん、彼が芸能界に果たした多大な功績を疑うわけではない。僧侶だった父が布教のため渡ったロスで生まれ、一度日本へ戻り、その後、ロスへ行って、米軍の一員として朝鮮戦争に派遣されるなど、波乱の青年時代を経験した。

   日本に再び戻り、「ジャニーズ」を結成して、次々にスターを輩出し続けた彼の手腕は、戦後芸能史を語るうえで欠かせない重要なものだったと、私も思う。

   だが、いくらなんでも、手放しでほめ過ぎるのではないか。誰しも、87年も生きていれば、他人に触れられたくない過去が一つや二つはある。私が読んだ限り、朝日新聞(朝日新聞DIGITAL7月10日)だけが、<1999年には所属タレントへのセクハラを「週刊文春」で報じられた。文春側を名誉毀損(きそん)で訴えた裁判では、損害賠償として計120万円の支払いを命じる判決が確定したが、セクハラについての記事の重要部分は真実と認定された>と、彼の陰の部分に触れていた。

   週刊文春の記事を遡ること18年前、週刊現代にいた私が、ジャニー喜多川の"性癖"について報じた。その記事が出た後、ジャニーズ事務所は「講談社の雑誌には今後、うちの事務所のタレントは出さない」と通告し、社内は大騒ぎになった。

   結局、社は、私を婦人倶楽部に急遽、異動させることで事務所側と和解した。まだ30代半ばだった私は、そんな講談社のやり方に嫌気がさして、本気で辞めようと考えた。相談した劇団四季の浅利慶太の助言で、辞めることを思いとどまったが、ジャニー喜多川の死を伝える新聞、テレビを見ていて、往時のことを思い出していた。

   人は、棺を蓋いて事定まる。ジャニー喜多川の真の評価は、これから始まると思う。

「貴景勝」大関陥落より深刻・・・父親のご祝儀持ち去り、親方への恩知らず

   貴乃花関連の記事が目立つ。週刊新潮が、貴景勝が6月16日(2019年)に大々的に開催した「大関昇進披露宴」のご祝儀金を、貴のパパが会場から持ち帰ってしまったことを報じている。週刊新潮によれば、当日は2000人が集まったといわれ、売り上げは4000万円はあったのではないかと、貴景勝が所属する千賀ノ浦部屋の関係者が話している。事実だとすれば、相撲界を揺るがす大事件だそうである。

   なぜなら、こうしたパーティーは力士の名前を冠して行われるが、あくまでも相撲部屋が主催し、相撲協会もバックアップするから、収入は力士個人のものではないというのが、この世界の常識だからだ。部屋と力士の取り分は、親方6対力士4というのが相場らしい。それを無視して、なぜ、貴景勝のパパはカネを持ち去ったのか。

   週刊新潮が直撃すると、貴景勝のパパ、佐藤一哉が「嘘を言う人は、刑事告訴しますよ」と物騒なことをいうのである。パパのいい分は、パーティーの1か月半ほど前に部屋の親方のところへ行き、「親方にはいくら持って行きましょうか」と聞いたところ、親方が、「要らない」といったというのだ。

   ところが、パーティーの5日前になって、今度は「ご祝儀金はうちで持って帰ります」と親方から電話があった。だが、当日は、ホテルでカネを数えていたら親方は帰ってしまったという。貴のパパはそこに警備員と税理士を連れていったというから、最初から持ち帰るつもりだったのではないか。その後、ホテルの使用料や、部屋から来た諸経費の請求を払ったから、手元には1000万円程度しか残ってないという。

   パパの振る舞いも「慣例破り」で問題だが、さらに問題は、貴景勝が「おかみさんが親父のことをボロカスにいって、それを信じている部屋の奴がおるから、奴らとは口をきかない」といっていることである。だから部屋のチャンコは食べないそうだ。今場所は休場して、大関から陥落してしまったが、将来を慮り、休場を勧める親方に、貴景勝は頑として首を縦に振らず、説得するのに4時間以上かかったという。

   千賀の浦親方は、貴乃花部屋がなくなるために、貴乃花が、弟子たちを預かってほしいと頼み込んだのを、何もいわずに受け入れてくれた。週刊文春で、貴乃花は彼についてこう語っている。

   <「千賀の浦さんとおかみさんには、いきなり苦労をかけてしまいました。長く一緒にやってきた千賀の浦さんは、人柄もよく信用に足る方。(中略)弟子たちをまとまった状態で残すことができ、本当にありがたかったです」>

   親方の心弟子知らず。そういえば、貴ノ岩も付け人に暴力を振い、現役を引退している。貴乃花は週刊文春の連載で、「頑張ると口にしてはいけない」「過去の栄光にはすがらない」と立派な信条を述べているが、2人の弟子の振る舞いを見る限り、そうしたものは、全くといっいいほど弟子たちには受け継がれていないようである。

   貴乃花よ、思っていることを口にしなければ、今の若い者には伝わりはしないのだ。貴景勝に、相撲部屋に入った瞬間から親子の縁は切れるのだから、父親がしゃしゃり出てくるような真似はやめさせろと、ガツーンといわないと、貴ノ岩の二の舞になると思う。

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。

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