監督は容赦ない暴力描写で人間の狂気を描いてきた白石和彌。主演は元SMAPの香取慎吾。一見アンバランスに見えるが、社会の底辺を這いつくばりながら、さらに転がり落ちていく男の「生き様」を描く。
怠惰な毎日を過ごしていた郁男(香取慎吾)は、ギャンブルから足を洗い、恋人の亜弓(西田尚美)と彼女の娘・美波(恒松祐里)とともに亜弓の故郷である石巻に移り住むことになる。亜弓の母は他界しており、ひとりで暮らす父の勝美(吉澤健)は、末期がんだが漁師を続けており、近所の住人・小野寺(リリー・フランキー)が何かと世話をしていた。
新しい生活が始まったある日、美波が亜弓と言い争いになり、家を飛び出してしまう。夜遅くなっても帰って来ない美波を心配した亜弓は、郁男の運転する車で捜索するが、大喧嘩になり、今度は郁男が亜弓を車から降ろしてしまう。その夜、亜弓は遺体となって戻ってきた。
42歳のでっぷりオヤジ
テレビ画面から伝わる香取のSMAP時代のイメージは、「元気ハツラツ」「やんちゃ」「食いしん坊」「愛くるしさ」といったところだろうが、ギャンブルと酒に興じる郁男のクズっぷりが、パブリックイメージを守るアイドルの裏側のように見えてくる。これまで出演した作品の中でも、今回は香取の芝居は群を抜いて良い。アイドルという肩書がなくなり、内面から芝居にアプローチしているのが伝わってくる。
肉体もアイドル時代ほど気にしていないのか、ずっしりと42歳の男の貫録と色気が出ており、「ときめきに死す」の沢田研二を想起させる。
郁男はとにかくロクデナシのクズだ。地に落ちている。嫌なことや状況が不利になると酒に溺れ、ギャンブルの沼に足を突っ込む。情けない。しかし悪人ではない、だから周囲は郁男に手を差し伸べる。そこに一筋の希望が存在する。
サスペンスとしての回収は失敗しているが、物語で重要なのは、亜弓を失った郁男の自責の念であり、再生の物語だ。
石巻の海に沈んでいる『3・11』
石巻の海の底には震災の残骸が未だに眠っている。震災の悲しみが癒えぬ街から聞こえる海の音が、登場人物たちの呼吸と何度も重なり合う。街も登場人物も海も、いつかは穏やかな日々が送れるように「凪」を迎えることを願うように何度も何度も重なり合っていく。
誰もが心に傷を負っている。それでも生きていかなければならない。勝美が末期がんにも関わらず漁に出るのは、震災で妻を失くし、助けに行けなったことを今でも悔いているからで、妻と出会わなければ漁の仕事もしていなかった。絶望から立ち上がり這いつくばる「覚悟」が、激しい波風――生き方であり、その対価として「凪」という状態が人生にはやって来るのだろう。
丸輪太郎
おススメ度☆☆☆