香港で中国本土に犯罪容疑者を引き渡す条例改正案に反対して、200万人が参加する空前の大規模デモが起きた。「通りが人で埋めつくされています」「人の波がとまりません」と現地から合原明子アナウンサーが伝える。人々の怒りには締めつけを強めようとする中国への不信と不安があふれていた。
街を見続けてきたタクシー運転手の趙國良さん(58)は、近ごろの香港に急激な変貌を感じると話した。繁華街を走ると「ここの買い物客の90%以上が中国本土からです。まるで広州にいる気がします」という。
ここ数年、中国の通貨の人民元を使える店や引き出せるATMが増えた。観光客だけでなく、本土から移住者も毎年5万人にのぼり、人口750万人のうち150万人が移住者だ。
不動産を買いに来る人も多い。1億円以上の物件を中国の富裕層が投資目的で買いあさるため、この10年、価格高騰が止まらない。アメリカの大手不動産会社によると、香港の住宅価格は平均1億3000万円と世界で最も高い。「彼らに場所を占拠され、中国への憎しみや反感が強まっています」と趙さんは話した。
強まる「中国化」押しつけ
こんな中で、香港政府が議会に提案したのが容疑者引き渡し条例改正案だ。現在、中国本土と香港の間に引き渡し協定はなく、改正されると、政府や習近平政権に批判的な人が本土に引き渡されかねないとの不安が広がっている。「香港人を守る土台が破壊され、香港が中国の街になる」「ここは中国の思い通りになる場所ではない」と、多くの市民が立ち上がった。
そうでなくても、ここ数年、言論への圧力が強まったという危機感がある。週刊誌記者の男性(24)は「習近平が国家主席に就いたころからひどくなった。記事の内容が制限され、使う言葉にも注意しなければならない」と語る。
4年前には、中国共産党に批判的な本を扱った書店の関係者5人が行方不明になり、中国当局に拘束されていたことが明らかになった。男性記者の周りでも、批判記事を書いた記者が本土に行った際に逮捕された。「政権を批判したら、別件でいつ逮捕されてもおかしくありません」という状況の中で、引き渡し条例改正案は大きな衝撃だった。
デモに参加した男性は、当局に行動を知られるのを恐れて、スマホの位置情報をオフにしている。デモに関するやり取りは、セキュリティーが強固というロシアのSNSを使う。彼がデモに参加することに昔なら危ないと反対していた母親も、「今回は息子の行動を支持します。いま声をあげないとチャンスがなくなります」と変わった。
企業や住人も海外に移転
香港は世界の金融センターでもあるが、中国との一体化を嫌ってオフィスをシンガポールに移そうという企業も出始め、在住2万5000人という日本人にも不安が広がる。香港で35年暮らして日本料理店を経営する吉田寛さんは、「常連客から将来を危ぶむ声をよく聞きます。資産を移そうか、台湾に行こうかという人もいる。商売に影響します」と心配顔だ。
神田外国語大の興梠一郎教授は「香港が中国に返還されたときに国際社会に約束したことが、一つずつ切り崩されていく」と指摘する。普通選挙、言論・出版・結社・デモの自由、香港独自の行政や司法の処理管轄権などが、一国二制度の下で保護されるはずだった。しかし、自由な選挙は何年たってもじっしされず、2014年の行政長官選挙では中国共産党に批判的な候補者が事実上排除され、「雨傘運動」と呼ばれる反対デモのきっかけとなった。引き渡し条例は、そのダメ押しと多くの市民が受け止たのだ。
香港政府が今回のデモに「組織的暴動」という言葉を当てたのも、天安門事件を力で鎮圧した中国政府のやり方と同じだと受け取られた。世界でも紳士的なイメージだった香港の警察当局が、デモ隊の前に武装部隊を押し出してきたことも、人々に深刻な締めつけ強化を感じさせた。
7月1日の返還記念日に最大規模のデモ
NHKの若槻真知支局長は「これまでとは盛り上がり方が違う」という。市民の日常会話にひんぱんに条例反対の話題が出る。初めてデモに参加した人もいれば、「デモできる最後の機会」と本気で考えた人もいる。デモには若者だけでなく、お年寄りや家族連れも幅広く加わった。「雨傘運動のときのようなカリスマ的リーダーはいませんが、抵抗は今後もさまざまな形で続きそうです」(若槻記者)
香港政府が条例改正案の審議を無期限延期にしたぐらいではおさまらず、改正案そのものの「撤回」を人々は求めている。「香港の親中派は中国の意向通りに動くだけで、核心は中国政府が握っていることを露呈した」(香港の政治評論家・陶傑氏)、「条例案の事実上の廃案は習近平政権へのダメージで、中国政府にとっては香港が大きな問題になった」(立教大学の倉田徹教授)という。
中国政府は強気の姿勢を崩していない。習近平政権は2108年の活動報告から「港人港治」(香港人による香港統治)の文言を削除し、「全面的管轄権」を打ち出すなど強硬路線だったが、王毅外相は「西側勢力が騒ぎをあおっている。中国の内政問題に干渉は許さない」と頑なだ。
この路線を中国は絶対に緩めないだろうと興梠教授は見る。「放っておくと、チベット、ウイグル、台湾もバラバラになるばかりか、香港が民主化の震源地になって、中国内の他地域までが真似してしまう」と考え、「国家安全の問題ととらえている。国際舞台での議論などはされたくないだろう」(興梠教授)という。
来週の7月1日は香港がイギリスから中国に返還された日で、最大規模のデモが予想されている。
*NHKクローズアップ現代+(2019年6月20日放送「香港"200万人デモ"の衝撃~進む"中国化"広がる波紋~」)