父は牧師で、母はその良きパートナー。一人息子のジャレッドはバスケットボールに打ち込む大学生で、チアリーダーの彼女がいる。アメリカの田舎町の、ありふれた家族の絵にかいたような幸せである。
久しぶりに帰省したジャレッドを迎え、浮き立つ両親のもとにかかってきた1本の電話が、そんな日常を崩壊させた。大学のカウンセラーを名乗るその男は、「お宅の息子さんは憂慮すべき性的志向を抱えている」と言い募ったのだ。
電話の男が話した内容は、微妙に事実と異なっていたが、頑迷な父にとっては些末なことは関係なかった。彼にとって重要かつ憂慮すべきはただ一点、輝かしい、誇るべき息子が、男性のことが好きだということだけだった。
父に押し切られる形で、ジゃレットは同性愛を"治す"という教会の「矯正プログラム」に入れ、そこで目にしたのは、これまでの自分の罪を悔い、同性愛との決別を誓わせられる、おぞましい人権侵害だった。
まるで「悪魔憑き」のように自分のセクシャリティを否定され、同性愛の罪を犯したのは、環境のせいだった、周囲が憎いと口に出して言うことを求められ、ありのままの自分を自ら否定するよう仕向けられる。さらに、矯正のことは口外してはならないという。
強烈な違和感と、人を追い込む横暴な仕打ちに耐えかねたジャレッドは、「治ったフリをする」「役を演じるだけだ」と自らに言い聞かせるが・・・。
アメリカで今でも根強いLGBTへの偏見
悲痛な中にも救いのあるラストに胸が詰まった。LGBTの話のたびに、日本は「遅れている」と言われるが、「進んでいる」とされる国々の今は、根強い偏見と矯正と犠牲者の上に成り立っていることを改めて実感する。
むしろ、戦国武将の時代から、男色やお稚児さんの可愛がりを許容してきた日本よりも、宗教と密接に絡み、罪として排除してきたキリスト教圏のほうが、熾烈な弾圧があったのではと思わされる。
敬虔なクリスチャンであるほど、両親を愛しているほど、自分だけが罪深いのだと孤独を深めていく様は、「教え」と「洗脳」の親和性の高さをまじまじと突き付ける。人間性を否定されてもなお侵害されない強い自尊感情を、ルーカス・ヘッジズが好演している。言葉少なに、光を秘めた瞳で罪を見透かす。母親役のニコール・キッドマンの演技も、この親にして、この子ありと思わせる説得力が十分だ。
映画は実話をもとにしていて、2014年に当時のオバマ大統領は矯正治療をやめるよう声明を出した。テーマは重いが、大切なのは、ありのままを受け入れること、という穏やかな着地点に落ち着く。(ばんぶぅ)
おススメ度 ☆☆☆