ロケンロール内田裕也さん逝く 加藤浩次と崔洋一だけが知る型破り「愛のロック魂」

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   17日(2019年3月)5時33分、「ロケンロール」で親しまれたロック歌手内田裕也さんが肺炎のため都内病院で亡くなった。79歳だった。晩年は尾てい骨強打や右足甲の骨折など病気や怪我と戦う日々が続き、ここ数年は車椅子生活。復帰を目指してリハビリに励んでいたが今年に入り体調が悪化、昨年(2018年)9月に75歳で亡くなった妻の樹木希林さんの後を追うように旅立った。

   所属事務所は「この数年、闘病の日々でした。それでもユーモア、ウイットを忘れず、時には世の中を憂い、怒り、常に自分の出来る事を模索しておりました。多くの友人知人、家族に支えられて、Rock'n Roll人生を全うすることが出来ました事を心よりお礼申し上げます」とコメントを発表した。

夜中の2時に「映画やろうよ!」と電話が

   沢田研二を発掘しデビューさせるなど日本のロック創世記を支えた裕也さん。私生活では1973年に樹木希林さんと結婚するが、わずか1年半で別居。81年には一方的に離婚届を提出。2011年には当時の交際相手に対する強要未遂と住居侵入の疑いで、警察に逮捕されるなど波乱の人生だった。

   娘婿の本木雅弘さんは別居が続く夫婦関係について「ダイヤモンドの原石のようにはかりしれない純粋さを持っていると同時に、2人にしかわからない距離感がある」。娘の内田也哉子さんも「母と私の2人の家庭に象徴のように君臨する父でした。私の中では永遠にわかりようもないミステリーでした」と語っていた。

   崔洋一(映画監督)「本木さん、也哉子さんもおっしゃっていたが、お二人にしかわからない独特の世界観が確かにあった。理想の夫婦、異端の夫婦、いろいろないい方ができると思うが、二人が分かっていれば十分」

   司会の加藤浩次「ワイドショーでは問題が起きたときに裕也さんを取り上げることが多かった」

   崔「映画の現場では、仕上げの段階まで厳しいやりとりをするなどピュアな部分がある。裕也さんは誤解を恐れない。変なおじさんという側面で見られがちだが、非常にピュア。プロデューサーとしての面もすごい。夜中の2時過ぎに『頭にきてんだよ、だから映画やろうよ』と電話がかかってきて、運命的に『この人と仕事やろう』と思った」

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