期待したい「サンデー毎日」ジャーナリズム復権志向
ところで、2018年は週刊誌とは何かについて考えることの多い年だった。毎週のように、年金、医療、相続特集を繰り返す週刊現代、週刊ポストの編集姿勢に、週刊誌OBとして疑問を呈したことも1度や2度ではなかった。
新年合併号というのは週刊誌のお祭りである。増ページして部数も多く刷り、特別定価にする(週刊現代は500円だ!)。年末年始を読者に楽しんでもらおうと、編集部はさまざまに趣向を凝らすのだが、週刊現代と週刊ポストの巻頭特集は「死ぬ前と死んだあと」(週刊現代)、「これか金のすべて」(週刊ポスト)。たしかに新年は冥途の旅の一里塚、死というものをじっくり考える時ではあるが、親の死や自分の死を考えるために週刊誌を買うだろうか。1年の計は元旦にありだが、年金のことぐらい少しの間、忘れていたいのではないか。
週刊現代や週刊ポストを読んでいると、ゴーン前日産会長逮捕も、辺野古の埋め立て問題も、末期症状を呈している安倍政権問題もなく、世はなべて事もなしであるかのようだ。
週刊朝日も、週刊文春、週刊新潮路線は諦めたのか、週刊現代、週刊ポストにすり寄り、巻頭特集は「カラダとお金の老化に備える」である。それに対して、部数を限りなく減らしているサンデー毎日は、ジャーナリズム復権志向のようである。
巻頭で高村薫の連載を始めた。第1回は「政治の嘘 見逃すまい」。ジャーナリストの森功の「森友・加計問題『疑惑の核心』」「政界仕掛人 小沢一郎の戦闘宣言!」「白井聡 象徴天皇制の行方」、元朝日新聞記者・樋田毅のルポ「変わる日雇いの街 大阪・釜ヶ崎哀歌」、いいのが砂田砂鉄に「ノンフィクションの底力を見くびるな」をやらせていることだ。
新潮45休刊問題から入り、後藤正治の「拗ね者たらん 本田靖春 人と作品」、阿部岳の「ルポ沖縄 国家の暴力 現場記者が見た『高江165日』の真実」、磯部涼の「ルポ 川崎」、國友公司の「ルポ 西成 七十八日間ドヤ街生活」などを取り上げている。
砂田のいうように、ノンフィクションが春だったのは、本田靖春や柳田邦男、沢木耕太郎らが出てきたわずかな時期だけだった。ノンフィクションは厳冬期には慣れているのだ。底力に期待したい。
週刊文春、週刊新潮の他人のへその下を覗き見る週刊誌王道路線、週刊現代、週刊ポスト、週刊朝日の高齢者寄り添い路線、サン毎のようなジャーナリズム路線、部数低迷から抜け出そうと四苦八苦している各週刊誌の中で生き残るのはどこか。2019年にはその答えが出るのではないだろうか。