司会の小倉智昭も「一流企業の社長が亡くなっても、『トクダネ!』が伝えることはないんですが・・・」と言いながら取り上げた。東京・新宿歌舞伎町で「ホスト界の帝王」と言われた愛田武さんが、きのう25日(2018年10月)未明、介護施設でなくなったというのだ。78歳だった。
ホストクラブ「愛」の経営者で、トレードマークは口ひげとメガネ。ロールスロイスで出勤し、一時は年商20億円と言われ、ポケットにはいつも100万円の札束を突っ込み、指輪も時計も宝石づくめで、命を狙われたなどの逸話にも事欠かない。
ヤクザ組長に「殺してみろ。命かけて店守る」みかじめ料払わず
有名なのは、ヤクザの組長を撃退した一幕だ。愛田さんはみかじめ料を払わなかった。地元のヤクザへの用心棒代だ。ために、ヤクザに店を壊された。愛田さんはクラブに来た組長の前で、「店を守るためなら命をかける」とナイフを腹に突き立て、「殺してみろ」と迫った。組長は逃げ出したという。
クラブ「愛」のホストからは多くのタレントがデビューし、愛田さんもテレビのバラエティに出て、豪快な笑いを振りまいた。タレントの1人、城咲仁は「あんな肝の据わった人は見たことがない。店と家族を守る人でもあった」と語った。
プロレスのゴージャス松野を救ったのも愛田さんだった。松野は俳優の沢田亜矢子のマネージャーで夫だったが、離婚して困っていた時、「店へ来ないか」と声をかけた。プロレスへの転向発表もクラブでやった。
昭和34年、新潟から上京して、フランスベッドの販売員として売りまくった。独立して事業を始めたが失敗。28歳の時にホストになった。ほとんど無一文だったが、すぐさまナンバーワンになった。31歳で独立してホストクラブ「愛」をオープンした。
3度目の脳梗塞で引退
別のクラブを経営する長男の愛田孝さん(53)は、「父は背も小さいですし、ずんぐりむっくりで、かっこいいタイプじゃない。だけど、なんか可愛らしい魅力があったんだと思います。あと、野心が人一倍強かった」と話す。
2011年に3度目の脳梗塞で引退した。介護施設に入っていたが、晩年はアルツハイマー型認知症で車イス生活だったという。
中瀬ゆかり(「新潮社」出版部部長)「アイホン(クラブ愛の本店)にもお邪魔したし、愛田社長とはマッサージ店が一緒だった。すごく優しい方で、私がお会いしたのは、もうひと仕事終えたような感じでした」
小倉「豪傑だったと、よくわかりました」