樹木希林さんが書き遺した筆談メモ 自殺する子どもたちと内田裕也への思い

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「裕也さんの元にいつかは帰りたい」

   内田さんは、希林さんの葬儀で、遺骨をハンカチに包んで、ポケットに入れた。希林さんは、自分の遺骨を内田さんがどうするかを気にしていたという。遺骨を持っている人もいる、と話した時、「どうするのかなぁ、裕也さんは」と言った。常々、「裕也さんの元にいつかは帰りたい」とも言っていた。

   志村さんは、「最後まで、心配をし続けてお世話をする。誰かのために行動する人だった」という。先の手書きのメモも、「子供達の将来 9/1日に自殺者増えるけど」とあった。「思いが届かない、届かないと涙をこぼされた」という。

   希林さんは2015年に山口で開かれた「登校拒否・不登校を考える全国合宿」で、「9月1日に『嫌だな』と思ったら、自殺するよりは、もうちょっと待って、世の中を見てて欲しいのよね。年をとれば必ず、がんとか脳卒中とか心臓とかで死ねるんだから、無理して死なないでいい」と熱く語っていた。

   死を前にした病床でも、若者の将来を心にかけていた。

小倉智昭キャスター「いい話を聞かせてもらいました」

   今回の取材は、也哉子さんの「母の思いをぜひ伝えてください」という後押しで志村さんが話してくれたものだった。

笠井信輔アナ「9月1日には、車椅子で、『死なないで、死なないで』とつぶやいていたそうです」

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