8日(2018年10月)に亡くなった昭和の名横綱、輪島大士さん(享年70)の通夜がきのう14日に東京・青山斎場で行われた。土俵をかたどった祭壇には、土俵入りの写真。相撲からプロレス、芸能界という波乱の人生。広い交友関係そのままに約500人が別れを惜しみ、たくさんの言葉を寄せた。
「甲子園で打ちたい」と打撃練習をすると...
元福岡ダイエーホークス監督の田淵幸一さん(72)は、「今日は清々しいな。最高の人生を送った男ですよ」という。互いに「監督」「横綱」と呼び合う仲だった。「ひとりになると寂しいよ。星野(仙一さん)もそうだったけど」
秘話も話した。輪島氏が来て、阪神の練習で「甲子園で打ちたい」という。「いいよ」。5、6球打ったら膝がグキッとなった。「2日後に休場ですよ」田淵さん。
本人も「最高に幸せな男だ。」と言っていた。「ゴルフもしたし、うまいものも食った。友達とたくさん会ったし、いろいろ話したし」という映像は1981年、33歳の時だ。ただ晩年は、咽頭癌で声を失い、人にも会わず、寂しい日々だったという。
「輪湖時代」と言われた横綱の双璧、輪島、北の湖が揃った正月番組の映像があった。司会を務めた関口宏さん(75)は、長く親交があった。
「出世が早くて、まだまげも結えない時から、時々飲んだりゴルフをしたりしました。新しいことが好きでしたよね。相撲界の古いしきたりの中で、新しいやり方のトレーニングに取り組んだ」
歌手の五木ひろしさん(70)は、「レコード大賞(73年)の受賞に駆けつけてくれて、私を抱き上げてくれた。それがお付き合いの最初です」
子供の時から可愛がられた花田虎上さん
元横綱若乃花の花田虎上さん(47)は、子供の時から輪島さんに可愛がられたという。「父(貴ノ花)の一番仲のいい力士で、いっぱい思い出がある。『輪島ちゃん』と呼んだりしていた」「親父が亡くなった時に輪島さんから電話がかかってきて、僕泣いてました。輪島さんの声を聞くとなんか違うんですよね」という。
2005年に「とくダネ」に出た時、花田夫妻のキューピッドだったと明かしていた。「親方(貴ノ花)は無口でね、私がいると喋る。奥さんも私といると喋る」ということだったそうだ。
花田虎上さんも、「輪島さんが年寄りで残っていたら、私の道も違ったかもしれない」と言っていた。
小倉智昭「輪島のおじさんは優しかったんだろうね。バラエティー番組でも、返ってくる言葉がユニークで面白い人でした」
橋口いくよ(作家)「バラエティー見ていた世代ですが、野球で膝を壊して休場なんて、今だったら大変。モンゴルでサッカーしただけでも大騒ぎでしょう。何か、寛大な時代がスターを育てたという感じがする。うらやましい」