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日本人初の宇宙飛行士から百姓に・・・秋山豊寛「まだ死ねない」福島原発事故で奪われたままの農地と暮し

   週刊新潮は玉城デニー衆院議員の沖縄県知事選出馬表明が遅れたのは、党首の小沢一郎が出馬しろともするなとも決められなかったためだと報じている。翁長陣営の中核だった観光大手「かりゆし」グループが自主投票になり、公明党が佐喜真淳の推薦を決めたため、玉城側の形勢は不利だが、それを一気に跳ね飛ばす力になるのは、9月中旬にファイナルコンサートを沖縄で終える安室奈美恵のひと言である。

   「翁長の遺志を継ごう」といえば、有権者は玉城支持へと雪崩を打つ。こちらも進次郎ならぬ奈美恵頼みである。

   週刊現代の注目記事は、日本人初の宇宙飛行士になった秋山豊寛(76)のモノクロページ。秋山は1986年、TBS外信部デスクのとき、「宇宙飛行士の社内公募」に応募した。TBSがソ連と宇宙ステーション「ミール」の訪問に関する協定を結んでいたからだ。

   1年間の厳しいトレーニングを積んだが、本人は「運動に専念していればいいからストレス解消になった」そうだ。90年12月に宇宙船ソユーズに搭乗し、念願だった宇宙からの生中継を成し遂げる。そのとき地球を見てこう思った。

   「地球はね、ものすごく綺麗なものなんです。でも、地球を取り巻く大気というのは、宇宙から見るとリンゴの皮よりさらに薄い。地球は非常に壊れやすい星なんです。そのナイーブな星の中に、たくさんの人が暮らしている」

 

   帰還すると秋山は「百姓になる」といって53歳でTBSを辞めてしまう。全国を歩き回り選んだのが、「地面がものすごくよかった」福島県滝根町だった。退職金で3000坪の土地を購入し、有機農法を学んだ。シイタケはベテランの農家からも絶賛されたという。

 

   しかし、福島第一原発事故がそれをいとも簡単に奪ってしまう。彼の家は第一原発から36キロだったため、国や東電からの補償はほとんどなかった。現在は自主避難し、三重県多気郡に居を移し、240坪の畑を耕す。秋山はこういう。「僕が三重にいるのは、福島にいられなくなったから移動しているのであって、それを抜きにされちゃ困るんだよな」

 

   事故から7年経つが先は見えない。福島に残したままの無人の家の固定資産税を今でも払っている。

 

   三重でも原発に反対する会に所属し、各地の反原発デモにも参加する。原発で被害を受けた農家が可哀想なのは、作った作物が売れないことに対しての補償はあるが、作物を作れない環境についての補償がないことだと憤る。

   「いまは〈健康欲〉だけがある。これは、健康でいたいという希望じゃなくて、〈まだ死ねない〉って気分です。あの原子力ムラの連中が何の罰も受けないのに、自分が先に死ぬわけにはいかない。理想を言えば、〈正気の市民〉になりたい」

    こうした覚悟を持った日本人がここにいる。まだまだ捨てたものではない。(文中敬称略)

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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