演出家の浅利慶太さんが13日(2017年7月)に、悪性リンパ腫のため入院先の病院で死去した。慶応大学在学中の1953年に仲間とともに劇団四季を創立し、「ウエストサイド物語」「コーラスライン」などの海外作品の上演をてがけたほか、「キャッツ」「ライオンキング」などの作品を通じてミュージカルのロングラン公演を定着させた。
「お金にならない」と言われていた演劇界において、全国に7つの専用劇場を持ち、年間売上げ200億円以上の大劇団に成長させた。02年に出演したテレビ番組で「演劇はテーマは1つしかない。生きるってこんなにすばらしいんだな、命はこんなに尊いんだと感じること。それがない演劇は、いくら面白くてもダメですね」と話していた。
石坂浩二「僕の背骨の中にずっとついててくださる」
劇団四季で役者人生をスタートさせた市村正親は「浅利さんが残してくれた言葉を、今度は僕なりに後輩たちにつなげていきたいと思います」と話した。劇団四季出身の俳優鹿賀丈史も「一から育てていただいて、劇団を辞めてずいぶん経っているけど、気にかけていただいていました。感謝の気持ちでいっぱいです」と涙をぬぐった。
劇団四季の創立初期に演出助手を務めていた石坂浩二は「僕の背骨の中には浅利さんが死ぬまでずっとついててくださるんじゃないかと思います」と語った。
司会の真矢ミキ「ブロードウェーでないと見られないミュージカルを、近くに感じさせてくださった日本のミュージカルの父ですね」
テリー伊藤(タレント)「演出家としてすごかっただけでなく、劇団員の人が芝居でも食べていけるようビジネスとしても成功させた人です」