芥川賞有力作品「盗作疑惑」講談社編集者の未熟・怠慢こそ心配だ!
ところで、芥川賞の候補、それも本命とされていた北条裕子の『美しい顔』(『群像』6月号)に「盗作疑惑」が持ち上がった。石井光太のノンフィクション『遺体』(新潮文庫)や、被災者の体験記をまとめた金菱清編『3・11 慟哭の記録』(新曜社)などを参考にしたが、それを巻末に参考文献として入れなかったのである。
講談社は詫びを出したが、その程度のことでは収まりそうになかった。そこで講談社は、社のホームページ上で、この小説を無料で全文読めるようにしたのである。さっそく読んでみた。
かなりの分量である。作品についての評は私の任ではないので、読後の印象だけにとどめる。東北大震災を被害者側、17歳の娘の視点で描いている。自分たちを消費するためだけに来ているメディアへの批判や、かけがえのない者を失い、残された者たちがそのことをどう乗り越えていかなければならないかなど、なかなかの筆力で一気に読ませる。
毎回、芥川賞受賞作は読んでいるが、ほとんどのものは途中で放り出してしまう。その程度の昨今の芥川賞であるから、この作品が賞を取ってもおかしくはない。
だが、東北出身でもなく、被災地を取材したわけでもない筆者がこれを書けたのは、先にあげたノンフィクションだけではなく、多くの他人の著作を参考にしたのは間違いない。そういう意味で責められるべきは、それをチエックできずに、しかも参考文献さえ示さなかった担当編集者である。
小説の最後にお詫びと参考文献が載っている。見逃せないのはこの言葉である。「編集部の過失により」。過失ではない。編集者が未熟だったのだ。怠慢だったのだ。『群像』といえば講談社編集者の憧れだった。多くの作家を輩出してきたが、素晴らしい編集者も育ててきた。そうした文藝編集者が劣化した証左である。作家は編集者によって育てられる。だが、編集者の質が落ちた出版社にいい作家はこない。
さて、私は早稲田大学への愛校心など微塵もないが、早稲田OBというのは不思議なもので、悪口をいわれるとムラムラと愛校心が湧いてくるようである。今週も週刊現代が悪口特集を組んでいる。それによると、授業料や補助金をリスキーな海外の未公開金融商品に約1億ドルも投資することを決定したそうだが、経営の立て直しをやらずに一攫千金を狙うのでは、早稲田の将来も知れたものであろう。
今は慶應と早稲田に受かると、相当な確率で慶應へ行ってしまうそうだが、確たるイメージがなくなった早稲田には魅力がないこと、いうまでもない。
驚いたのは、「ワセ女」はあまりいい印象がないが、このところ「ワセ女」のイメージが様変わりして、女子大生向けのファッション誌の読者モデルに登場するのは「ワセ女」が多く、2015年は119人で、青山学院の117人を抜いたそうである。
慶應は44人で第10位。早稲田が増えた理由は、女子学生が増えたからである。87年度には16%しかいなかった女子学生が、17年度には37%になっている。
このままいけば、早稲田も女子大になるはずだ。そのほうがいいかもしれないとOBは思う。