両親に見捨てられてた?新幹線殺傷「小島容疑者」自分から自立支援施設へ

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   9日(2018年6月)午後9時45分ごろ、東海道新幹線「のぞみ265号」の車内で男女3人を殺傷した小島一朗容疑者(22)は、「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」と話している。半年前に愛知県岡崎市の祖母の家を出て、野宿などしていたという。

   祖母と同居する50歳の伯父は、「小さいころ、家で食事も与えられなかったそうです。父親は厳しく、母親は好きな事ばっかりやっていて、自分の方を全然向いてくれなかったと言っていました」と話す。

   小中学校の同級生は、周りの子どもとしょっちゅうトラブルを起こしていた小島を思い出す。「(怒ると)椅子とかで思いっきり殴ってきたりする。殺されるんじゃないかと思ったくらい」と振り返る。

学校の成績はオール5

   14歳で実家を出て自立支援施設に入所した。19歳の時までそこで生活し、20歳の時に母親とのトラブルが原因で、祖母と養子縁組をした。家を出た理由について、父親は「(入所は)自分の意思。家が嫌いだった」と話す。さらに、小島が中学3年の時に起こした家庭内トラブルについて明かした。

   夏休みの終わり、小島は新学期に水筒が欲しいと訴えたが、母親から中古の水筒を渡されたことで怒り、夜中に寝室のドアをけ破り、寝ていた父親に包丁と金槌を投げつけてきたという。父親は息子を押さえつけ、母親が110番通報した。「恐怖を感じながら、けさ固めの状態で警察が来るまで押さえていた」と父親は話す。

   自立支援施設の代表は「学校の成績はオール5だった。頭のいい子で、定時制高校を3年で卒業した」と話す。その後、上場企業のグループ会社に就職し、「自分の稼いだ金で生活できる」と張り切っていたという。ところが、その会社生活は10か月で終わった。退職後は「俺は生きていても仕方ない人間だ」と、自殺をほのめかすようになった。「どこでも死ねるように」とロープを持ち歩き、家出を繰り返していた。今回の事件は4度目の家出の半年後だった。

環境違っていれば違う人生

   司会の小倉智昭「もしも環境が違ったら、順風満帆な生活を送っていたのかもしれません」

   為末大(元陸上ハードル選手・「Deportare Partners」代表)「小学校、中学校はもう(性格が)決まった後に近いと思う。幼少期に感情が芽生えている可能性が高いですよね。秋葉原事件の加藤被告の幼少期を思い出しました」

   橋口いくよ(作家)「家庭での愛情が足りなくても、社会に出て、他人からもらうもので普通に生きている人もたくさんいます。大事なのは他人とのつながり(を作ること)」

文   ピノコ| 似顔絵 池田マコト
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