是枝裕和のカンヌ・パルムドール予想してた「週刊現代」受賞決定前にグラビア特集
週刊現代のグラビア「映画監督 是枝裕和」はある意味でのスクープだと、私は考える。締め切り時点では、是枝監督が第71回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞するニュースは入ってきていない。彼の「万引き家族」が今村昌平監督「うなぎ」以来21年ぶりに受賞したのである。日本映画のパルムドールは5作目になる。
私はこの映画は見ていないが、「歩いても 歩いても」「誰も知らない」「そして父になる」「海街diary」は見ている。「そして父になる」は子供を取り違えられた夫婦の物語だったと思うが、福山雅治の父親役に違和感があり、映画に入り込めなかった。
是枝は政治的な発言もする行動的な映画監督である。今度の映画も、年金不正受給を題材にしているらしい。日本を代表するとまではいわないが、まだ55歳。さらなる高みを目指してもらいたい。
週刊ポストの60歳過ぎてからの極上の孤独のすすめにいこう。下重暁子の「極上の孤独」や五木寛之の「孤独のすすめ」が売れている。五木のほうは読んでみた。ほとんど内容は忘れているが、孤独の話より、老人たちがこれから世直しのために立ちあがれという、老人を鼓舞する内容だったと記憶している。
孤独というのは、何もわざわざそうしなくとも、ある程度の年齢になれば嫌でも孤独になる。両親の死、友人たちの死、愛犬の死、結婚していた相手が亡くなることもある。
下重がいっているように、わざわざ一人になれる空間を作らずとも、嫌というほど孤独は周りに充満し、押し潰されそうになる。昔は粋がって「群衆の中の孤独」などと嘯いていたが、そんな群衆と遭遇することもなくなる。孤独を楽しめと、みなさんおっしゃる。それは、すぐ隣に家族がいて、外に出れば仕事仲間や飲み仲間がいるからいえることではないのか。
私はまだ幸いにして「真の孤独」というものを味わったことがない。しかし、それもあと数年のうちに味わうことになるのだろう。
妻の朝丘雪路が認知症(なぜ認知症で死ぬのだろう?)で死んで、亭主の津川雅彦は、「先に死んでくれてありがとう」といった。認知症の介護で相当辛い思いをしたのであろう。その言葉の行間に、オレのほうが先に逝きたかった、一緒に死ねばよかったという悔悟の念を見てしまう。
孤独なんて、自分から進んで味わいに行くことはない。私はこうした企画が好きである。いまは死についての本を乱読している。余生を悔いのない送り方をしたい。そんな、誰もなしえないことを夢見て、毎日を無為に過ごしているが、これはこれで楽しいものではある。