歌手で俳優の加山雄三さん(80)が所有するクルーザーが一昨日夜(2018年4月1日)、係留されていた静岡・西伊豆町の安良里港で焼けた。船に人はおらず、出火原因は不明だが、加山さんは「分身だった。辛い」と悲痛な思いを語った。
焼けたのは、「光進丸」(全長26メートル、104トン)。安良里港を泊地としていたが、一昨日午後9時20分ごろ、船から火が出ているのを住民が見つけ通報した。消防が駆けつけたが、手の施しようがなく、翌朝までに全焼状態となった。
初代・光進丸は「君といつまでも」の大ヒット時に
出火当時、船に人はおらず、けが人もなかったが、放水で沈む恐れがあるため、3日現在も鎮圧状態にある。1日には、エアコンの定期点検が行われたが、異常はなかったという。
事故のあった時、加山さんはコンサートで沖縄・宜野湾市にいた。昨日(2日)午後7時すぎ、戻った羽田空港で会見となった。沈痛な面持ちで現れた加山さんは、事故へのお詫びと消火に当たった地元の関係者に感謝の言葉を述べたあと、光進丸への思いを話した。
どこに愛着が?と聞かれて、「全部です。何もかも、私の分身」「これほど悲しいことはない。あの船から、たくさんの曲が生まれ、大勢の人とも楽しい時間を過ごした」「相棒を失った、自分の半身を失った思い」「こんな形で消えていく。辛いです」
23歳で芸能界にデビューした加山さんは、船を持つことが目的の一つだったという。27歳だった1964年、最初の光進丸を持った。12メートル、17トン。翌年「君といつまでも」が大ヒット。映画「若大将シリーズ」で時代を築いた。今回焼けたのは、45歳の時に作った3代目の光進丸だ。
自ら設計にも関わり、ラウンジ、バー、キッチン、風呂、寝室まで完備。ギターやキーボードなどの楽器も置き、演奏会も作曲もした。「光進丸」という歌もある。ラウンジで得意の絵を描いている写真もある。
家族とも毎年クルージングに出た。加山さんは、「家族も泣いていました。辛い」と言った。「声をかけてやるとしたら?」と聞かれ、「ありがとう。よく頑張ってくれた」
タレントのウェンツ瑛士が、「一度乗せてもらったことがある」と言い出した。「内装なんかを説明してくれた時の、加山さんの少年のような目を覚えている」「一度しか乗ってないのに思い出がある。加山さんは本当に辛いだろうなと」
加藤浩次「ちっちゃい船から始まって、成功してきた思い入れは強いでしょうね」
ロバート・キャンベル「モノを失った時の表情ではなかった。船で海に出れば、孤独になれる、自由になれる。サンクチュアリみたいな空間だったのでは?」
肝心の出火原因だが、船は岸から離れて係留されていたが、カビなどの防止のために24時間空調をしており、電気は通っていた。防災の専門家は、電気関係のショート、ホコリが原因の発火現象トラッキングなどが考えられるという。
加山さんは10年ほど前から、4代目を考えていたというのだが、それを聞かれた加山さんは、「今はまだ......」と言ったそうだ。そんなこと聞く方が悪い。