小倉智昭は、平昌(ピョンチャン)の会場でその瞬間を見ていた。羽生結弦選手(23)のまさかの五輪2連覇だ。東京に戻った小倉は、「絶対無理だと思っていました。たくましいですね」という。お得意のメダル予想でも、羽生は金から外していたので、「すみません」と謝った。
「スケートに色々なものをかけたし、色々なものを捨てた」
羽生は昨日(2018年2月18日)、記者会見で本音を語っていた。昨年11月のNHK杯の公式練習中にジャンプに失敗、右足首を痛めた。それから3か月、カナダでのリハビリに入り、表舞台から姿を消していた。3か月間のメンタルを聞かれて、ちょっと考えて「なんて言って欲しいですか、えへへ」と笑った。
「特に自分の心と頭がネガティブな方向に引っ張ることはなかったが、環境、状況、状態、条件という外的要因からすごくネガティブに引っ張られました」
「それだけスケートにいろんなものをかけたし、いろんなものを捨てたし」
「本当にギリギリだったので、痛みとの戦いの中、なんとか跳べるようになったジャンプだったので、競技として、を考えると治療の期間が必要だなと思っています」
「これでスケートやめなきゃいけなくなったらどうしよう、とまで思っていましたし、実際に今もどうなるかわからない状態なので、ちょっと複雑な状況でした」
姿を見せたのは、五輪本番5日前だった。
「跳び始めたのが、トリプルアクセルが4週間前で、4回転は2週間から2週間半前だと記憶しています」
しかし、SPでは111.68でトップだった。小倉も会場で、「羽生が戻ってきた」と驚いていた。それだけに、翌日(17日)のフリーは、日本中が注目した。地元仙台のパブリックビューイング、飲食店でもテレビに釘付け、タクシーまでがカーナビを切り替えてライブ映像を追っていた。列島のいたるところで、電気屋の店頭のテレビに人は立ち止まった。
冒頭の4回転サルコウに成功すると、4回転トウループ、3回転フリップと次々に決めていく。後半、疲れから4回転トウループで転倒しそうになると、日本中で悲鳴が上がった。が、倒れなかった。その後のコンビネーションもこなして、3回転ルッツでもう一度危ない場面をこらえてフィニッシュ。
文
ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト