古ぼけた一枚の写真。巨大な観音像の建立の記念写真だが、大きく組まれた足場と周囲いっぱいに、多分地元の人たちだろう、200人近くの老若男女が群がっている。大人たちの多くは羽織袴の正装だ。子供達はほとんどが着物。その上から観音の顔が覗く。素晴らしい写真だが、素性がわからない。これをネットがあっという間に解決してしまった。
写真はツイッター名「つるま」さんが、滋賀県で入手したという。「つるま」さんは仏像大好き人間。観音の端正な顔立ち。大きさも相当なものだ。だが、そんな仏像聞いたこともない。写真を手に入れたはいいが、その素性は全くわからなかった。
そこでツイッターに投稿した。「近畿のとあるお寺に残された写真です。この観音像が撮影された場所、年代を探しています」「これだけ巨大な観音像なのに、どこにあった(ある)ものなのか、全く不明なのです。年代は昭和初期~20年代と推定されます」
ツイッター上で壮大な謎解きが始まった。まさにウォーリーを探せだ。
「国民服や軍服が見えないので、戦前は間違いない」
「紋付袴の正装ですから、村そう出の大事業だったと思います」
大勢の中に、1人だけ変わった服装をした人物がいた。袈裟をかけているのだが、その形から、「禅宗のお坊さん。住民の服装から、昭和初期の禅寺ではないか」
また、やぐらの途中にスコップが写っている。この形に目をつけた人もいた。
「明治、大正のスコップには、持ち手がない(真っ直ぐな棒状)。これには持ち手がある。だから昭和か」
逢系の林の樹木に注目した人もいた。「高い木はクロマツ。下層はシロダモやシラカシといった照葉樹。西日本の海岸沿いの植生だ」。東日本は落葉、広葉樹が多いのだと。
そしてついに観音像の顔に行った。「秩父・大淵寺の護国観音像に似ている」「顔立ち、頭の形、手に武器を持つ、アクセサリーも似ている」と。
写真を見ると、確かに護国観音にそっくりだ。では誰が作った。そこで文献を調べたところ、志佐鳳洲という仏師とわかった。さらに文献には、「志佐は、護国観音を作る前に、九州・青ヶ島に滞在した」とあった。現在は長崎・青島だ。これだった。
インターネットのオープンな力に感動
「つるま」さんは、「300日以上かけて情報を集めたが、わからなかった。想像をはるかに超える情報が集まってきたんですから、インターネットのオープンな力を感じました」という。結局1万8000件もの投稿があって、わずか5日で素性が判明してしまった。
「モーニングショー」の取材班が訪れると、確かに観音はあったが、写真のものより小ぶりだ。しかも新しい。
実は今の観音像は2代目で、写真に写っていた観音は、昭和60年の台風で壊れてしまったのだという。初代の建立は昭和9年だった。写真は開眼式でのものだった。
住民に聞くと、写真に写っている人がいた。「私は小学5年生だった」と93歳の男性がいう。また「(子供達をさして)これが親の世代の人たち」というのは、69歳の女性だ。アルバムには、初代の観音像の写真がたくさんあった。
司会の羽鳥慎一「すごいね。いろんな知識を持った人が......ネットの力はすごいですね」
野上慎平アナ「たった5日ですよ。今の時代の推理は、たった1人でやるものではありません」「青島の人口は200人なので、この写真もほぼ島民全員が写っているかも」
青木理(ジャーナリスト)「何か事件があると、プライバシーから何からわーっとなるのもネット。一方でこういうのもネット。すごいものです」
菅野朋子(弁護士)「すごい知識」
青木「明治大正のスコップには驚いた」(笑)