日馬富士が引退会見...にじみ出る無念の思い 貴ノ岩に「礼儀と礼節を忘れずに頑張っていただきたい」

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   大相撲の横綱日馬富士(33)が昨日29日(2017年11月)、福岡で会見を開き、引退を表明した。10月に鳥取巡業中に前頭貴ノ岩に暴行、けがを負わせたことで、横綱の名誉を傷つけた責任をとったという。しかし、なぜ暴行に及んだかの理由は、警察の調べがあるからと最後まで明かさなかった。

   午後2時過ぎからの会見は、師匠の伊勢ヶ浜親方と2人。親方は、「協会に引退届けを出した。本人は早くから意思を示していたが、場所が終わるのを待った。なぜこんなことになったのか、ただただ不思議」と涙ぐんだ。

   日馬富士は、「貴ノ岩関にけがを負わせ、横綱として責任を取る。深くおわびします」と27秒もの間、頭を下げた。おわびには「国民の皆さん、ファン、協会、講演会、親方、おかみさん」といったが、貴ノ岩の名はなかった。

 

   記者の質問は、なぜ暴行したのか、に集中したが、日馬富士は、「礼儀と礼節を教えるのは先輩の義務だ」とし、「彼のためになるという気持ちが強すぎて、行きすぎた」といった。事件の翌日(10月26日)、貴ノ岩が謝ってきたので、「注意をするお兄さんがいることに感謝しろよ」と握手したことも明かした。

   貴ノ岩については、「心も傷ついていると思うが、礼儀と礼節を忘れずに、頑張っていただきたい」といい、「礼儀と礼節」を都合3度も繰り返した。酒癖を聞かれて、「酒で崩れたことはない。お酒を飲んだからの事件じゃない、これは」といった。

暴行のきっかけには沈黙

   さらに質問が「きっかけ」に及ぶと、伊勢ヶ浜親方が、「まだ捜査が続いているので答えられない」。「今後」の質問にも、親方は日馬富士に「引退したばかりだし、黙っていればいい」といった。

   その後7時過ぎに、日馬富士は羽田に戻ったが、記者団の質問には、「会見で話したので、それ以上ありません」と何も話さなかった。

   司会の国分太一が、「見ていてもなんか、複雑な気持ち。伊勢ヶ浜親方の涙、会見の内容を見て、現役として限界を感じて引退してもらいたかった」といった。

   堀尾正明アナも「無念がにじみ出ていた」

   テリー伊藤(タレント)「貴ノ岩について、『傷ついてる』といった。これで謝罪してる。一世一代の立派な会見だったと思う」

   日馬富士は会見で、「素晴らしい17年間でした」といった。2000年、16歳で単身日本に来て、「親方、おかみさんに生きる道を教えていただいた」と感謝の弁を述べたが、その経歴に曇りはなかった。

   翌年1月、安馬のシコ名で初土俵を踏む。当時の体重は86キロ。簡単につり出されて黒星のスタートだった。しかし持ち前のスピードで頭角を現し、その年春場所で序の口で優勝。会見でも、この時が最も印象に残る場所のひとつと言っていた。

   以後、白鵬(32)との競り合いになる。1歳年下で、1年後に来日した白鵬は、常に安馬の先をいった。2007年、22歳で白鵬が横綱になった時、安馬はまだ関脇だった。翌08年大関昇進で日馬富士と改め、09年初めて白鵬に勝つ。そして12年秋場所、千秋楽で白鵬に勝って、2場所連続全勝優勝を飾り、第70代の横綱になった。

   日馬富士には別の顔があった。絵が得意で、富士山の絵で展覧会も開いた。収益は病気の子供の援助に充てた。また、06年に父親を交通事故で亡くしたことで、NPOを通してモンゴルに救急車を贈ったり、学校建設に資金を出したりもしていた。学校は来春完成予定だ。私生活では、妻と3人の子供。

   そんな日馬富士が、なぜ貴ノ岩に激しく手を出したのか。これが分からない。ここで話は別の方へ向かう。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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