真矢ミキが宝塚の大先輩、八千草薫さんに聞いた 「いつも楽しく少しだけ無理をする」

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   真矢ミキが聞く「前向きウーマン」は、宝塚で真矢の33期も上の大先輩、八千草薫さん。元祖「嫁にしたい女性No.1」でもあった。芸能生活70年、80歳を超えてなおかくしゃくとして「日本の母」を演じ続けている秘密に迫る。

   インタビューは東京駅前から始まった。えんじ色の渋い和服は、東京駅のレンガに合わせたのだという。出身は大阪。宝塚でも映画でも、東京へ出てくれば東京駅になるのだと。「新幹線のなかった時代は、夜行で来て夜行で帰る。しんどいと思ったこともあった」

   映画に入るきっかけも東京駅だった。越路吹雪さんを見送りに来た時、カメラマンの三浦光雄さんという方がいて、「この子を映画に使ってみたら、とおっしゃったらしいんです。ちょうど『宝塚夫人』というのを撮影してて、出させていただいた。それがはじめ」。真矢「はあー、人は送ってみるものですね」

   宝塚は戦後1期目。試験では「水着を着てきなさいと言われた」。真矢「私はレオタードでした」など、宝塚あるあるで盛り上がる。戦災で家が焼けた話なども出たが、真矢がピンとこない様子。

   八千草「綺麗なものに飢えてましたね。クラスで、何も準備してなかったのは2人だけだった」

   程なく娘役トップに、さらに映画界に入るが、「映画には出たくなかった。雲の上の人たちだと思っていた」という。最初の主役が「蝶々夫人」(1955年)、イタリアとの合作映画で、イタリアへ行き、イタリア語も学んだという。

   真矢が「良妻賢母の役はどうですか?私なんか強い役ばっかりなので」

   八千草「良妻賢母はつまらない」(爆笑)

   真矢「これは難しかったという役は......」

セリフが大変だった『やすらぎの郷』

   八千草「つい最近やった『やすらぎの郷』も大変でした。なにしろセリフが膨大。例えば、15分2人でワンカットですよ」「うわー」「もう、どうとでもなれという気分」(笑)

   忘れられない作品として、「国分太一さんとやった『しゃべれどもしゃべれども』(07年)」を挙げた。今ひとつ煮え切らない落語家が国分さんで、その祖母役だった。「好きな映画、国分さんもすごく良かった。音楽やる方は感性がいいんだなと」

   真矢が「ご主人さまは、どういう関係のお仕事をされてたんですか」と言ったので、仰天した。谷口千吉を知らないのだ。八千草さんは動ぜず、「映画監督でした」と笑顔で答えた。「気が抜けなくないですか。カットなんて」(笑)

   「なれそめは?」「そういうものは言わないほうがいい。しゃべっちゃうと宝物が消えちゃうような」。谷口さんは10年前95歳で他界した。「歳が19歳離れてたから、しょうがないですよね。すごく楽しい、ユーモラスな人でした」。八ヶ岳の別荘で過ごした思い出が一番だという。

   「今行くと、思い出がいっぱいあるから、辛くて寂しいけど、行って寂しいけどその中にいると慰められる」。自宅には谷口さんの大きな写真があった。「一緒にいるような気持ちで」。犬一匹と猫2匹と住んでいるんだそうだ。

   最後に色紙に「いつも楽しく少しだけ無理をする」と書いた。「歳をとったら、少し無理を」と。

   真矢「重厚な時間でした」

   国分「10年前の作品なんですが、八千草さんとのシーンは思い出に残ってます。流れている空気が温かくて。褒めてくれましたけど、10年前は一言も言わなかった」(大笑い)

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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