テニス界のレジェンド、伊達公子さんが引退後初めて、ナマのテレビに登場した。グレーのシンプルなスーツ、いつもの長い髪、ほとんどすっぴんだ。そして変わらぬ爽やかな笑顔。
司会の加藤浩次が「長いことお疲れ様でした。今も、テニスやってるんですか?」
伊達さん「なんだかんだ、動いてはいます。精神的にはすごくリラックス」
加藤「声がおかしいですが」
伊達さん「風邪引きました。2年半ぶりかで」
加藤「引退してホッとして」
伊達さん「完全にそれですね(笑)。今は目覚ましもなしに起きて」
加藤「目覚ましなしに起きる気分は......」
伊達さん「最高ですね」(爆笑)
今月(2017年9月)12日、有明コロシアムでの「ジャパンウイメンズオープン」が最後だった。17年間のプロテニス人生の締めくくりに、伊達さんはこういった。
「この9年半チャレンジを続けることができました。負けることは大嫌いでしたし、コートではみんなが『伊達公子は怖い』といった。それも勝負にこだわるが故のこととお許しください」
伊達さんがこだわったのは、チャレンジと勝利への執念だった。テニスとの出会いは、小学校1年、両親に連れられていったテニススクールだ。高校卒業後プロになった。その時の映像が残っていた。ソバージュの彼女は、毛筆で「挑戦」と書いていた。そんな自分に、伊達さんは大笑い。
挑戦の結果はめざましいものだった。全豪、全仏オープンとウィンブルドンでベスト4は、日本人女子最高成績。世界ランクも最高は4位だった。これもいまもって日本人最高成績だ。武器は「ライジング・ショット」、ボールが上がりきらないうちに叩いた。
グラフとの伝説の一戦
伝説の一戦がある。96年の国別対抗戦「フェドカップ」の準々決勝、対ドイツ戦で、当時の絶対女王、シュテフィ・グラフと対戦した。世界ランクは1位対7位。過去の戦績は6戦6敗だった。それが勝ったのだ。フルセット、3時間25分の激闘。25歳だった。
ところが翌年、絶頂期の26歳で引退した。「今が限界」といった。そして11年後、37歳で現役復帰。「若い選手たちの刺激になれれば」と言ったが、刺激どころではなかった。38歳11カ月でツアー優勝のほか、数々の最年長記録を更新していった。全てが挑戦だった。
加藤「グラフとの試合すごかった。覚えてます」
伊達さん「勝てると思わない相手に勝てた。思い出深いです」
その時、日の丸の旗を振って応援する28歳の松岡修造さんの映像もあった。加藤「松岡さんのキャラもあそこで開花した」(爆笑)
最後に伊達さんは、「私にしかできない、できることを見つけたい」といった。それもまた、挑戦なのだろう。