差別乗り越え、近代社会で暮らした果てに......
〈サーミの血〉

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(c) 2016 NORDISK FILM PRODUCTION
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   1930年代、スウェーデン北部のラップランドで暮らす先住民族のサーミ人は差別的な扱いを受けていた。

   少女エレ・マリャ(レーネ=セシリア・スパルロク)は、学校でサーミ語を禁じられ、成績も良く進学を希望していたが、「サーミ族の脳は文明に適応できない」と教師からは推薦状を書くことを断られる。差別に苦しむエレは、夏祭りで少年ニクラスと出会い、恋に落ちる。

   その時エレは自らをクリスティーナと名乗る。エレはクリスティーナとして彼を頼り、都会の学校へ入学しようとするのだったが...。

   自身もサーミ族の血を引くアマンダ・シェーネル監督が、アイデンティティの境界線に立つ少女の成長を描き、自らのルーツを問う。主演のスパルロクも役者をしていない時はトナカイの飼育をしているサーミ人である。

   生まれながらの境遇を受け入れ、生まれた土地で生きるべきなのか。知識と教養を身につけ、人生の選択肢を広げるべきなのか。エレは故郷を捨て、都会へ旅立つことを決断する。

   親からもらった名前を捨て、過去を忘れようとするエレは、アイデンティティを捨て、新たなアイデンティティを手に入れようとする。

   しかし自身がサーミ人であるという事実は呪縛のようにエレにまとわりついてくる。時折見せるエレの表情が、サーミ人として生まれた自分が許せないのか、伝統や文化に盲目的に従うことが許せないのか、差別をする側ではなく、差別を受ける側が自身に流れる血流を恥じる不条理を感じさせる。

   いつの時代にも差別は存在する。エレは、たとえ家族に反対されても、ルーツを偽装しても、近代社会の生活――「自由」を手に入れようとする。

   そのためには強い意志と行動力で運命を切り開かなければならない。エレが手に入れたものは何だったのか、また犠牲にしたものは何だったのか、アイデンティティを消し去ることや伝統を否定することはどういうことなのか。礼儀やルールやしきたりを無視して、自己実現を求める「革命」の先に何が待っているのか......。

   やがて月日が経ち、年老いた彼女は、エレだったのかクリスティーナだったのか、自ら人生を切り開いてきた彼女の表情は北欧の大地と共振していた。

おススめ度☆☆☆☆

丸輪太郎

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