自らの弱体を突かれた形の解散に「疑惑隠しだ。敵前逃亡だ」と大慌ての野党、一方、「解散は総理の専権事項」と大合唱の与党――。
そこで浮かび上がってきたのがこんな疑問。いつから解散が総理の専権事項になったのか? 憲法にそんな条文があったのか? この疑問に注目した番組が、ゲストに学習院大政治学科の野中尚人教授、政治評論家の田崎史郎をゲストに招き、取り上げた。
今回の解散騒ぎで安倍内閣15人の閣僚中、「解散は総理の専権事項」と発言したのは12人。なかには戦前、天皇の統治権で使われた「大権」を持ち出し「解散は総理の大権」(林文科相)と発言した閣僚もいたが、正論を述べたのは谷川法相だけで「解散は内閣が決めます」と発言したという。
では憲法の規定では、どういうときに衆院の解散が認められているのか? まず憲法69条で衆院で内閣不信任の決議案が可決されたときに10日以内に衆院解散、または内閣総辞職が認められている。さらに憲法7条で内閣の助言と承認に基づく天皇の国事行為の中に衆院の解散が入っている。
「解散は総理の専権事項」というのは、この憲法7条を勝手に解釈し、解散は首相の権利として利用してきたのだという。
始まりは吉田茂
田崎によると、その7条を都合よく解釈し専権事項としてやり始めたのが吉田茂・元首相。「1952年8月に国会も開かずに、衆院議長の応接室に各党代表を集め『解散』を宣言し『抜き打ち解散』と呼ばれた」という。
この時ある議員が「違憲ではないか」と提訴したが、最高裁が「政治性の高い解散は裁判所の審査圏外」と逃げたことから「首相の専権事項」として独り歩きしてしまったという。
しかし世界的には解散権は制約の方向にある。OECD加盟35カ国のうち解散権がない国が18カ国、強く制限している国が13カ国、好きに解散できる国が日本をはじめカナダ、デンマーク、ギリシャの4カ国だけになっている。
野中教授は「今回のように不意打ちの解散は、国民に対し十分な情報や野党の準備が整っていないから解散するという感じがあけすけに見える。国民が十分に主権者として選択権を行使できるようにする。それが一番大事だ」と強調した。