世界最速の男、ジャマイカのウサイン・ボルト選手(30)が引退した。おととい13日(2017年8月)閉幕した世界陸上選手権の会場で、最後の姿を見せ、満員の観客は拍手で9年に及ぶ活躍と輝かしい成果を祝福した。会見では、今後も陸上競技に関わっていきたいと語った。
大会前から、これがラスト・ランになると宣言していた。しかし、注目の100メートルではスタートの遅れを取り返すことができず3位。また、最終日の400メートルリレーでは、最終走者として走り始めた直後に、左足を痛めて走れなくなり、ジャマイカは棄権。ボルト選手も有終の美を飾ることはできなかった。
しかし、大会の最後にトラックを一周して観客に挨拶をした時は、足の異常は見られなかった。国際陸連から贈られた巨大な額縁がトラックに持ち込まれた。大きな「7」の数字があるだけ。これは、今大会の会場と同じ2012年のロンドン五輪で、走ったレーンに記されていた数字を加工したものだった。
そして最後は、得意の「ボルト・ポーズ」を披露して、大歓声の中トラックに別れを告げた。観客の記憶に深く残る引退セレモニーとなった。
一夜明けた昨日(14日)の会見では、最終レースについて聞かれ、「一度の世界選手権で、私が成し遂げてきたことが変わることはない。わかるでしょ。何年も何年もキャリアを通して自分自身を証明してきた」といった。今後については、「何か陸上に携わることができれば嬉しい。陸上を愛しているし、陸上は私に全てを与えてくれた。若い子たちに私がどんな練習をしてきたかを伝えたい」と。
獲得した金メダルは、五輪で8個、世界選手権で11個。ボルト伝説の始まりは、08年の北京五輪だった。ボルト選手21歳。ここで、100メートルで9秒69の世界新記録を出して優勝。しかも、周囲を確認しながらの余裕の走りだった。「ボルト・ポーズ」はここから始まった。
翌09年のベルリンでの世界選手権では、記録をさらに9秒58に伸ばし、人類初の9秒5台を達成。12年のロンドン、16年のリオと、史上初の五輪100メートル3連覇も成し遂げた。
「野菜食べて大きくなって」と日本の子供たちに話す
日本にはロンドン五輪の直後と翌13年にやってきた。2度目の時は、子供たちの陸上教室に参加して、質問に答えた。「どうしたら速く走れるのか?」には、「野菜を食べて大きくなって、そこからは練習だよ」と言っていた。「ボルト・ポーズ」はすっかり子供たちに定着した。
司会の加藤浩次「伝説は色褪せないのは、間違いない」
ウエンツ瑛士(タレント)「ここまで速いと、国と関係なく、ボルトとなる。100メートル最速には人類の夢がある」
加藤「誰でもできることで、一番速い」「ボルトはいつもスタートが遅い。スタートが速ければ、もっと速い」
9秒58。これを破る選手は当分出ないだろう。