昭和のヒットメーカー平尾昌晃逝く ロカビリー歌手、作曲家、指導者の3つの顔

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   心に刻まれる数々の名曲を残した平尾昌晃が先週21日(2017年7月)、肺炎で亡くなった。79歳だった。

   今年2月の船村徹に続く昭和の歌謡界を代表する作曲家の突然の死。番組では、「ロカビリー歌手、作曲家、そしてスター選手を育てた指導者という3つの顔を持っていました」と追悼した。

   東京・新宿で5人のきょうだいの末っ子として生まれた。高校時代にウェスタンバンドに参加し米軍キャンプを巡って腕を磨き、1958年にロカビリー歌手デビュー。ミッキー・カーチス、山下敬二郎らとともに「ロカビリー三人男」で人気を博した。

   その最中に肺結核に侵され医師の忠告で歌手を断念した。「医師から歌うのに肺を使ってはいけないと言われた。その時に布施明との出会いがあったんです。彼の声を聞いてこれからは若い人に歌ってもらった方がいいなと...」。

   そんな中で作曲したのが1966年『霧の摩周湖』(布施明)で、日本レコード大賞・作曲賞を受賞した。

   その後、1年間の長期療養生活を経て復帰。本格的な作曲活動に入り、71年『よこはま・たそがれ』(五木ひろし)、同年『わたしの城下町』、72年『瀬戸の花嫁』(小柳ルミ子)、74年『うそ』(中条きよし)など昭和を代表する曲が次々ヒットした。

   面白いのはロカビリー歌手が作曲家に転じ手がけたヒット曲の多くが、日本人の心に共鳴し刻まれる演歌だったこと。また宝塚歌劇団を代表する『ベルサイユのばら』の劇中歌の一つ『白ばらの人』も手掛けた。

音楽学校つくり後進を指導

   74年には「夢を持った子への手助けをし、音楽界への恩返しをしたい」と平尾昌晃音楽学校(現・平尾昌晃ミュージックスクール)を設立し、松田聖子、川島なお美、石野真子、川崎麻世などのスター歌手を育て、輩出した。

   番組には次男で歌手の勇気さん(36)が生出演し、「父は『お前何をやってんだ』と今にも起き出してくるんじゃないかと...急だったので地方にいて会えなかったのが残念です」と語っていた。

文   モンブラン
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