「よこはまたそがれ」など数々のヒット曲を生んだ作曲家の平尾昌晃さんが先週金曜日(2017年7月21日)、肺炎のため亡くなった。ロカビリー歌手から作曲家へ。音楽学校では数多くの才能を見出し、晩年はチャリティー活動など、波乱に満ち充実した79年の生涯だった。
「グッド・バイ・マイ・ラブ」(アン・ルイス)、「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)、「よこはまたそがれ」(五木ひろし)、「カナダからの手紙」(畑中葉子とデュエット)、......年配者なら誰もが知っている歌がずらりと並ぶ。まさに昭和を彩る記念碑だ。
1958年、20歳の時「リトル・ダーリン」でデビュー。「和製プレスリー」と呼ばれ、ミッキー・カーチスさん、故・山下敬二郎さんと共にロカビリー旋風で一世を風靡した。
その後、肺結核から歌手を断念して作曲家に転じ、35歳の時の「夜空」(五木ひろし)でレコード大賞を受賞。時代劇「必殺シリーズ」の音楽まで、幅広く手掛けた。
昨日(23日)大阪で開かれたコンサートで五木ひろしさん(69)は、最後に「旅立たれてしまった平尾先生へのお別れの感謝の気持ちを込めて」と、「別れの鐘の音」を歌った。五木さんは、平尾さんを「人生の恩人」と呼んでいた。
平尾さんに勧められて改名、五木ひろし
五木さんははじめ、三谷謙の芸名だったが、全く売れず。オーディションで審査員を務めていた平尾さんが、「改名したほうがいい」と、作詞家の山口洋子さんに声をかけ、山口さんが五木寛之さんから名前をいただいて、五木ひろしが誕生。「よこはまたそがれ」の大ヒットにつながったのだった。
39年前、「カナダからの手紙」で共に歌った畑中葉子さん(58)は「『あなたのいないひとり旅です』という歌詞があるんですけど、現実になってしまった。16で父を亡くしているので、父のように感じていた。残念です」と言った。
その平尾さんがステージで言っていたことがある。「いいですね、昔の歌って。最高! みなさん、カラオケでがんがん歌いましょう」
司会の小倉智昭「斬新な曲が多くてね。名曲揃いですよ」
ニュースデスクの笠井信輔「若い頃は大変な人気で、我々は知らないんですが、肺結核で片方の肺を切除したため、作曲家に転じた。もし歌手を続けていたら、日本の歌謡史に残る名曲は生まれなかった」
小倉「そうかもしれない。自分もヒット曲があり、他の歌手に提供しても、それがヒットする。発想が豊かだったんでしょうね」