安倍首相は7月11日(2017年)、ひっそりと帰国し、東京に留まることが嫌だったのではないだろうが、すぐ翌日には豪雨災害に見舞われた福岡、大分両県の被災現場を視察した。
G20サミットでは存在感を示せなかったが、かろうじて日本とEUの経済連携協定(EPA)の大枠合意にこぎつけ、喜んでいたようだ。だが、それも九州北部の豪雨被害のニュースにかき消されてしまった。ツキもなくなってきたようである。
いよいよ安倍内閣の支持率が危険水域に入ってきた。
「朝日新聞社は8、9日、全国世論調査(電話)をした。安倍内閣の支持率は33%で、前回調査(1、2日)の38%から1週間でさらに下落し、第2次安倍内閣の発足以降、最低となった。不支持率は47%(前回42%)だった」(7月10日付)
30%を切れば、安倍では選挙を戦えないという声が起こってくることは間違いない。
安倍首相は8月早々にも内閣改造をして、批判を浴びた閣僚を入れ替えたいと考えているようだが、寵愛している稲田朋美を切れなければ、たとえ小泉進次郎の入閣を実現できても、支持率を上げることは難しい。
それにしてもこのオバちゃん、次々に問題を起こしてくれるものだと感心すらする。6月、シンガポールで開かれたアジア安全保障会議で、彼女は、共に壇上に上がったオーストラリアとフランスの国防相(当時)と自分の容姿について「グッドルッキング(美しい)」といったのはかわいい方である。
九州北部豪雨で自衛隊が救助活動にあたっていた7月6日、勉強会に出席するという理由で防衛省を一時不在にしていたことが発覚した。週刊文春によれば、こんなのを相手にしても仕方ないと、アメリカ側が7月中旬に予定していた2プラス2が延期になったという。
さかのぼる6月15日の参院外交防衛委員会で「名護市辺野古に新たな基地ができても『米側との調整が整わなければ、普天間は返還されない』と述べた」(朝日新聞7月13日付)
翁長知事らをはじめ沖縄にとっては「衝撃的」な発言である。この大臣、自分の言葉の重みにまったく無知だから、その後、お決まりの釈明会見。
中谷元前防衛大臣がさすがにこう批判している。
「防衛大臣経験者として申し上げれば、自衛隊が対応するべき緊急災害の時は、大臣がすべての予定をキャンセルし、自らオペレーションルームに行くのが当然のこと。その場面で防衛省を離れるとは、とても信じられません」
こんな人間が、北朝鮮とアメリカが一触即発の危機にある現在、防衛のトップにいると思うと、背筋がゾッとしてくる。安倍首相がそんな彼女をかばうのは、彼女の能力を買っているからではなく、何やら男女の仲、バラされたら困る恥部を、彼女に握られているとしか考えられない。
加計学園の内情は火の車
安倍を窮地に陥れているもう一人は、加計学園加計孝太郎理事長(66)である。腹心の友が大変な時に、雲隠れしたままなのである。
だが、7月8日の夕方、週刊新潮は、岡山市内で加計夫妻が白い小型ジープで、スーパーへ買い物に行く姿を捉えた。ハンドルを握るのは20歳近く年下の妻。加計は8年前に長年連れ添った妻と離婚し、この女性と再婚している。
スーパーでは、カレールーの品定めをし、デザート用のスイカを買ったという。週刊新潮が直撃すると、最後まで無言のまま、逃げるように走り去ったそうだ。
こども園から大学までを擁する一大教育コンツェルンのトップが、疑惑に答えず逃げ回っている姿は見苦しい。週刊新潮によれば、加計学園の内情は実は火の車だという。
『今治加計獣医学部問題を考える会』の武田宙大共同代表は、こういう。
「加計学園グループは20以上の学校を有していますが、採算が取れているのは岡山理科大くらいしかありません。他の千葉科学大や倉敷芸術科学大は定員割れが続き、赤字が慢性化している。その結果、岡山理科大の黒字で補填せざるを得ない有様です」
加計学園は、15年の3月から岡山理科大と倉敷芸術科学大のキャンパスを担保にして、日本私立学校振興・共済事業団から50億円を超える借り入れをしているという。
この利息の返済を来年3月から始めなければいけないそうだ。そのために、安倍を動かし、萩生田たち側近が文科省へ押しかけ「獣医学部開校は来年4月」と尻を切って強引に認めさせたのではないか。そう週刊新潮は見ているようだ。
どちらにしても、安倍首相、加計孝太郎理事長を国会へ招致して説明させなくては、この問題はいつまでも燻ぶり、安倍政権を蝕むことは間違いない。
平慶翔・都議が下村氏に猛反論
安倍の側近、下村博文元文科相も加計学園と親しい。その下村に、週刊文春などに事務所の情報を流したのは、以前勤めていた秘書の平慶翔(29)ではないかといわれた当人が、週刊現代で猛反論している。
もちろん、そうした内部文書を持ち出したことはなく、下村がいっているような、上申書など身に覚えがない、退職届と上申書の筆跡が似ているといっているが、あれは自分の筆跡ではないなどと全否定している。
都議選中、下村は会見して、週刊文春の報道は「選挙妨害」だといったが、平のほうがあの会見のために5000票は減らされたので、妨害したのは下村のほうだと難じている。
週刊文春が追及している下村に対する加計学園からの200万円の寄付について、こう語った。
「しかし、3年半、下村代議士や今日子夫人をそばで見てきた者として言わせていただくと、パーティ券購入が11人の分散献金という今回の説明は、まったく合点がいきません。そこにはやはり嘘が混じっていると感じざるを得ないのです。
私は、文書偽造と名誉棄損で、刑事・民事両面から告訴を検討中です」
ここまでいい切るなら、きっちり告訴して、法廷で白黒をつけるべきである。
船越英一郎と松居一代の修羅
さて、夫・船越英一郎(56)を詰り続ける松居一代(60)だが、週刊新潮が潜伏先でコンビニへ行き、カップ味噌汁を手にもって歩いている松居のさえない姿をカメラに捉えた。
さすが週刊新潮である。松居は動画で、89歳のおばあちゃんの家に匿ってもらっていると話しているが、新潮によれば、元々は松居の息子と親しい20代の大学生の家で、彼はベンチャー企業で映像クリエーターを務めているから、松居に頼まれて動画づくりを手伝っているそうだ。
当のおばあちゃんはこう話している。
「松居さんは自分の車に身の回りの物だけ載せて、私の家まで来ました。匿ってもらっているのがバレることをそこまで警戒していなかった時には、近所の銭湯にも行っていました」
松居は、船越の浮気の証拠を掴むためにハワイまで行ったとも話していたそうだ。
松居は、船越が糖尿病でSEXができないため、バイアグラ100ml(mgの誤り)という強いものを飲んでいるといっている。船越がもし「ヘモグロビンA1c」9・3だとしたら、相当深刻な糖尿病である。
その上船越は心臓疾患があるというのだから、性行為で心拍数が上がると、狭心痛が発生し、心筋が壊死して腹上死に至ることもある。
週刊文春は、船越の大学ノートを手に入れた。そこには手書きで、一代と自ら話し合い。弁護士を立ててくれ。私の代理人に●●先生。宣言。もう直接は話せない。
離婚条件は通常の財産分与、半分。調停(短く!)→裁判。マスコミ対応などと書かれているという。
離婚調停から裁判に至るまでの手順と、病院の診断書など松居によるDVの証拠を用意した上で、弁護士と話し合うようだ。ノートのあちこちにN来日、などNというイニシャルが多く出てくる。
松居は、このNが船越の不倫相手だと確信しているようだ。
当然船越側のいい分は違う。2人の仲が決定的になったのは、15年10月の松居の出版会見で、彼女が、船越が川島なお美(2週間前に亡くなっている)と交際していることを暴露したことからだそうである。
船越は激怒し、その後も口論になった。すると翌日、松居は船越のマンションの玄関前に、船越家の仏壇や両親の位牌を乱雑に放置したそうだ。やっと船越は腹を決めた。
可愛さ余って憎さ百倍。一度こじれると男女、特に夫婦というのは難しいものだ。
修羅のような夫婦の姿を描いた作品では島尾敏郎の『死の棘』がよく知られる。その小説の真実を知ろうと、生前の島尾の妻・ミホのインタビューや残された2人の資料を読み込んで、「愛の神話を壊し、創り直した」梯(かけはし)久美子の『狂う人』はノンフィクションの傑作である。
ミホは梯に「そのとき私は、けものになりました」といった。夫の日記を読み、夫に愛人がいたことを知った時の衝撃、そこから始まる夫婦の「地獄絵」を島尾は書き続けた。こんな描写がある。
「妻が私を責める気配を見せさえすればすぐそうしないではいられないし、妻は決まってそれを止めにかかる。(中略)そうはさせまいとするから私と妻はどうしても組み打ちになる。くりかえしにあきてくると、もっと危険な革バンドやコードを用いることをえらび、首のしまりがいっそう強く、だんだん限界がぼやけてくる。ここで、もう少し力を入れたら向こうがわに渡ってしまうかもしれないと思えるところまでしめると、妻も力が加わり、組み打ちもひどくなった」(『死の棘』より)
こうしたことを繰り返し、ミホの狂気が増幅していって精神病棟に入院してしまう。以来、島尾はミホの要求をすべて受け入れ、徹底的に従うことになる。
梯は、この小説には、ある種の虚構があるというが、私もそう思う。だが、事実と、それを小説としてまとめるのとでは、何かが違っていて当然であろう。
事実だがどうしても書けないこと、事実より誇張して書きたくなることはある。私もここまでではないが、似たような修羅はあった。だが、それを書こうとすると、きっと出来上がったものは事実と違うものになってしまうのだろう。
船越と松居の修羅は、どこまで続き、どういうエピローグを迎えるのだろうか。一段落したら、松居にこの間の顛末を書かせると面白いものができるかもしれないが、あまりにも一方的な内容になるからボツか。
織田絆誠代表が語る「任侠道」
ところで、週刊ポストでノンフィクション作家の溝口敦が、神戸山口組から別れ、任侠団体山口組をつくった織田絆誠代表(50)の告白をやっている。織田代表はこう話す。
「盃を下ろすまでは、組長になる人はそれぞれいい人なんです。が、下ろしたとたん、子分からお金の吸い上げ自由、自分の勝手と考える。こういった盃なら要らないということです。
しかるべき人物が現れ、トップになっても変わらないと確信できた段階で、組長の座にお迎えしたいと考えています」
ここでは、組長を置かず、親子盃、兄弟盃もしない。月会費はオール10万円以下。カネがかかるからと、他の団体と交際せず、本部事務所も置かない。
織田代表のモットーは「ヤクザはヤクザらしく」で、服装は自由で黒服を強制しない、生活に余裕を持ち、おしゃれを楽しみ、社会貢献せよという。
織田代表の祖父は済州島から日本へ勉強しに来た。大阪・淀川区で軍需工場を営み、親日派として名を成したそうだ。
だが、空襲で工場は灰燼に帰し、その子どもは敗戦後ヤクザになった。その父の子として生まれたのが織田代表である。
暴対法に基づく指定暴力団は22団体あるそうだが、そのうち代表者が在日である組織は5団体。
織田代表は「韓国は生みの親、日本は育ての親」で、大事なのは育ての親だと話す。こうした新しいタイプのヤクザが、山口組分裂の中でどういう役割を果たすのか、注目したい。
「ヒンシュク大賞」は断トツでトヨマユ先生
週刊ポストでビートたけしが恒例の「上半期ヒンシュク大賞」をやっている。だが、今回は誰の目にも豊田真由子代議士センセイが断トツだから、たけしもいうことがなくて困っているようだ。
「あまりにテレビの自主規制がひどいんで、オイラも『テレビじゃ言えない』なんて本を出したけど、豊田センセイのおかげで流れが変わったね。あれ以来、ハゲネタはタブーじゃなくなった。センセイが復活したら、国会で『ポコチン』『コーマン』を連呼してもらって、この国の『表現の自由』を死守して頂きたい!」
ヒンシュク大賞は豊田真由子と不倫で名をはせた中川俊直センセイに決定! たけし曰く、「自民党代議士2回生はトンデモナイ逸材揃い」だそうだ。