週刊新潮が絶好調!「新潮砲」の呼び声も 自民「魔の2回生」に新スター「トヨマユ」誕生

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小林麻央がもっと早く治療していれば

   小林麻央の早すぎる死に対する悲しみは、今も日本中を覆っている。AERAによると、麻央のブログには現在でも250万人の読者がいるという。

   同誌では10年に麻央が12回の対談をしていた。作家・渡辺淳一に、なぜ2、3回会っただけで海老蔵と結婚しようと思ったのかと聞かれて、こう答えている。

「もし運命とかそういう言葉があるなら、本当にあるんだなという気持ちです」

最後のブログ(6月20日)にはこう書いていた。

「皆様にも、今日、笑顔になれることがありますように」

   彼女の死は乳がんの恐ろしさも見せつけた。週刊新潮は、麻央の乳がんは早い段階で治療していればもっと生存できたのではないかと、疑問を呈している。

   なぜなら、麻央が始めたブログには「あのとき、/もっと自分の身体を大切にすればよかった/あのとき、/もうひとつ病院に行けばよかった」と書いていたからだ。

   週刊新潮によれば、最初は若い女性に多い良性の乳腺線維腺腫と見られたが、病院からは3カ月後にもう一度来てくれといわれた。だが、麻央が再検査を受けたのは8カ月後だった。

   病院側は、がんが見つかったので標準治療(手術と放射線、抗がん剤にホルモン療法、分子標的治療薬を組み合わせて行う治療)を勧めたが、麻央側は首を縦に振らなかったそうだ。

   その後、16年6月9日にスポーツ報知が「麻央夫人進行性がん」と報じるまで、治療を行っていなかったというのである。

   事情を知る関係者は驚くことに「気功に頼っていたのです」という。そのため病状が悪化し、小林家と縁の深い医師がそれを知り、聖路加病院に連絡して入院させたそうだ。

   最後に北島政樹国際医療福祉大名誉学長を頼り、夏を超すのは無理だと思われていたのが冬を越し春に至ったのだそうである。

   いまさらだが、もっと早く治療していればと思うが、残念である。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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