「私、お母さんを卒業します」というマンガ家・西原理恵子さんの「卒母宣言」が、女性たちに驚きと共感を広げている。子育てと家事と仕事に奮闘する母親を16年間にわたって描いてきた新聞連載マンガ『毎日かあさん』を、実の娘が16歳になったのを機に終了し、きっぱりと宣言したのだ。「親の務めは終わり、あとは好きにさせてもらおう」と言い切ったことが、現代の親子関係に一石を投じた。
武田真一キャスターが「あなたはできますか」と問いかける。「ちょっと早いのでは」「もうちょっと関わりたい」「子どもどもが30歳になったら一人暮らしをさせて、私も卒母するなか」などと、街で聞く反響はさまざまだ。子の就職先から結婚相手まで探す親も珍しくない時代、子離れの極意と卒母宣言にこめたメッセージを西原さんに聞いた。
干渉し合わない家族
西原さんは一男一女の母で、連載を始めたのは下の女の子が生まれてすぐだった。自身の奮闘模様をコミカルに描いた。「息子の学校は毎日弁当、さーて今日は残り物、あったっけ?」「母は朝寝坊で30秒弁当」といったセリフがポンポン飛び出す。
西原さんは長女の日和さんが16歳になると、朝起こすのも弁当を作るのもやめた。演劇の稽古で深夜に帰宅しても「居場所さえわかっていればいい」と口出ししない。「元気ならそれでいい。個人が幸せならいい」との考え方だ。長男の雁冶さん(18)は「同居人という感じで、お互いに干渉しあわない」という。
雁冶さんが16歳でアメリカに留学したいと言いだした時に、西原さんは快諾して費用も出した。「ただし、留学先や進路は自分で決めるようにさせた」そうだ。雁冶さんは「放任してくれたので自立した人になりたいと思った」という。
西原さんが口を酸っぱくして言ったことがある。
お母さん嫌いと言われれば「はい、嫌いで結構」。家を出たいなら「18歳からOK、ただし、独立するなら月20万円以上の収入をめざして準備すること」。勉強や資格のためのおカネは出す代わりに、子どもたちには自分で稼ぐ力をつけるように伝えてきた。
自分で金を稼ぐ女性に
西原さんは高知県の貧しい漁師の家に生まれた。18歳で上京し、美大をめざす。この時に母の淑子さん(84)は「田舎にいるよりいい」と考えて、亡くなった夫の貯金から100万円をわたして送りだした。「一人前にせんといかん」と思ったという。
上京した西原さんにとって、おカネを稼ぐことが自由を手に入れることだった。月収30万円をめざして、ミニスカパブとエロ本のカット描きで新スタートをきった。大学にうかってから「無職の男と同棲するとんでもないこと」をやってしまい、やっと月30万円稼げるようになり「粗大ごみの男を捨てて引っ越せました」と振り返る。「カネがないと男とも別れられないと娘にもチクチク言っています」
32歳で結婚したが、夫と死別、女手一つで子二人を育てた。「どうやって生きていくか、どうやって食べていくか、若いうちにきちんと知っておかないといけない」「時給1000円と2000円では人生がまるで違う。何かもう一つあった方がいいよね」と教えてきた。
なんで連載を終えたかと武田キャスターに問われて、西原さんは「16歳でアメリカへ行かれたら心配のしようがない。娘もやりたいことを見つけてドアの向こうへ行った」「子どもたちがタブレット一つを持って私の知らない世界へ行っている」「子を産んで育てるって、すごくおもしろいことです。私はお疲れさま、あとは好きにさせてもらう。母親は楽しかった」と語り、最後に描いたのは子どもたちへの感謝だった。
就職では「親確」
こうした「卒母」を阻むさまざまな壁が最近の親子にはあるというのが、番組の問題意識だ。
子の就職に積極的に関わる親が増えている。内定通知を出していいか、親から確認をとる人材会社がある。これを「親確」という。ここ数年、親に引きとめられて辞退する学生が少なくないためだ。
「親婚活」の言葉もある。今月、都内で開かれた婚活イベント、30代や40代の子を持つ親同士が会って相手を探す。男の4人に1人、女の7人に1人が生涯独身の時代に「私たちが生きている間になんとか」という親の集まりだ。4年前は月に一度だったが、今はほぼ毎週開かれるそうだ。
親が子に依存する面もある。50代の母親は「子どもを守ってやりたい、見てやりたい。依存しすぎと思うがやめられない」と話した。
「西原さんは子の将来に不安を感じませんか」と武田キャスターが聞く。西原さんは「ドアはいつでも開いている。困ったら帰ってきてちょうだい。それぐらいかな」
社会学者の山田昌弘さんは「50年前は子が親に仕送りするのは当たり前でした。いまは自立したくても、非正規や何かで、できない子が増えた。親のサポートがないとまともに生活できません」と分析する。子が親に反抗しなくなった、親が子といっしょになって楽しむようにもなったという文化的要因もあるという。
高度成長時代の1960年代は「教育ママ」が子どもを有名大学・企業に入れようと懸命だった。90年代は「一卵性母娘」といわれてブランドやグルメを楽しむ姿があり、その後は「パラサイトシングル」が給料をもらっても実家を離れずに楽しんでいたかと思えば、経済力がないために独立できない状態に変わった。
このごろでは子どもに過剰に干渉してやめられない「毒親」が横行する。「自分が子に必要とされたい気持ちが強くて卒親できなくなっている」と、山田さんは指摘する。
武田キャスター「卒母ライフはどうなるのですか」
西原さん「人生のハッピーアワーです。私は私で幸せになります」
武田キャスター「子どもに最後にできることは手を離してやることだと思いました」
どこで手を離すのか・離せるのかは、親子関係永遠のテーマだ。人それぞれに考えなければならないが、西原さんの生き方は「毒親」時代のツボを間違いなく突いている。この共感、さらに広がるかもしれない。
*クローズアップ現代+(2017年6月26日放送「"卒母"宣言 子離れできますか」)