今朝(2017年6月22日)、フジテレビの『とくダネ!』をつけたら、冒頭いきなり小倉智昭が「私も文春砲にやられました」と話し出した。
何でも、20歳以上下の人妻記者と2人きりで食事したり、事務所に入ったまま2時間も電気を消して出てこなかったりしている。「密会」しているに違いないと書かれたという。
それに対して小倉は、2人きりではなくてマネージャーがいつもいる。事務所にはミニシアターがあり、映画を見ているから暗いのは当たり前などだと弁解した。
それに僕は膀胱がんだから、そっちのほうはダメだと、いわなくてもいいことまで付け加えたが、目は笑っていなかった。この「古希の恋」は本物なのだろうか。
だいぶ昔になる。小倉は大橋巨泉事務所にいた。たしかフライデーだったと思うが、小倉が浮気をしているところを撮られたが、何とかしてくれないかという電話が巨泉事務所からあったと記憶している。
話を聞くと、浮気は事実だが、小倉に謝らせるからボツにしてくれないかというのだった。そこでフライデーに連絡して、話だけでも聞いてやってくれといった覚えがある。掲載されたかどうかは記憶にないが、そんなことを思い出した。
週刊文春によれば、女性は大手新聞社のA子で40代の人妻、身長170センチほどのスレンダー美人だという。
小倉は中野坂上で焼き肉屋を経営し、その上が事務所になっている(私の家と近い)。5月31日の午後7時前、黒のキャップに青い柄のシャツを着た小倉が事務所の前でキョロキョロしながらあたりを警戒していた。
その少し前にA子が中野坂上駅から歩いて来たが、わざわざ反対側の歩道へ渡ったりと、おかしな動き方をしながら小倉の事務所へ入って行った。
週刊文春によると、A子が訪れるときは決まって、マネージャーをはじめスタッフを全員退社させるそうだ。
その後、2人は別々に近くのイタリアンレストランへ行き、食事をするが、戻るときにも右、左に別れて事務所へ。約1時間後、小倉がタクシーを拾い、A子の自宅前で彼女を降ろし、自分は練馬の自宅へ帰っていったという。
フジテレビの関係者によれば、彼女とは食事だけでなく、ゴルフやジャズのコンサートにも連れ出す、小倉の「いつでもそばにいる」存在だそうだ。
週刊文春が見ている限りでも、1月には4回、そのうち2回は事務所で「密会」しているという。
小倉は週刊文春の直撃に、耳まで紅潮させて「やましい関係なんてない」「一緒にいて楽しい人、親友」と男女の仲を否定している。ここでも「がんだから、そんなことができる状況ではない」と、いっている。
親しい新聞記者なら、女性であってもこそこそする必要はないはずである。豪華なシアタールームで映画か音楽を聴いていたというのも、そういうときに備えて「いい訳できる」部屋を作っていたのではないかと邪推できる。部屋の写真を見ると、ゆったりしたソファーが2組あるだけだから、どんなことにも使えそうではある。
第一、人妻相手に忍んで会ったりして「W不倫」を疑われるような行動は公人として慎むべきであるはずだ。次々に不祥事が明るみに出るフジテレビだが、今やフジの顔ともいうべき小倉のスキャンダルがフジをどん底まで落とすことになるかもしれない。
小出恵介に同情の余地なし
小倉は、小出恵介の淫行疑惑について、「17歳少女側から金銭要求があった。そこは問題にならないのか」とコメントした。少女側にも「美人局疑惑」はあるが、小出が17歳と知って「淫行」したことは事実である。小出に同情の余地はないと思う。
この騒動についてビートたけしが週刊ポストの連載の中で、こういっている。
「未成年との淫行は条例で一発アウトだから、ヤッちゃってる以上、なかなか挽回は難しいよな」
大体芸能人というのは、一般人からすれば「心の底では腹立たしい存在」だから、そんないけ好かない奴がスキャンダルを起こせば、叩くやつが大勢いるのは当然だ。自分は有名人だから世間はオレのことを好きだろうなんて思っているのが間違いだと厳しい。
たけしは、「だからオレは、メシは知っている店でしか食べないし、それも個室しか入らない」という。
食い物でさえそうなのに、初めて会ってヤレそうな女なんてやばいに決まっている。
人気商売というのは、調子に乗るのが一番怖い。自分にとってかわるやつなんかいない、そう勘違いするからこんなことになるのだといっている。
きっとたけしも、昔は驕っていた時もあっただろう。だが数々のスキャンダルを起こして叩かれ、こういう心境になったに違いない。
高倉健などは、髪を切るのも、服を買うのも、飯を食べるのも同じ店だったらしい。ハワイにある健さん行きつけのベトナム料理店には、健さん専用の部屋がある。私も入ってみたが、だだっ広いだけで物置小屋のような無粋な部屋だった。ここで一人黙々と食べていたのかと思うと、健さんの孤独を思ってジンとした。孤独に耐えられず、ちょっとばかりの知名度を勘違いして、何でも許されると錯覚している輩が多くないか。