週刊文春、謝ったら
さて、週刊新潮が今週も「文春砲は汚れていた」第2弾をやっている。
新谷学編集長が説明責任を果たしていない。自著の中で「我々は首を取ることを目的にスクープを狙っているのではない。あくまでもファクトの提示だ」と書いているのに、新潮が先週号で行ったのも「ファクトの提示」だが、新谷編集長は「情報収集の過程で、他メディアの動向をつかむことはしばしばあります。そうした『情報戦』は、さまざまな形で新聞やテレビなどのメディアも行っています」というだけで、「文春の社員が本誌の中吊りをコピーして社に持ち帰ったという『ファクト』についての言及が一行もない」と週刊新潮は難じている。
普段あれほど歯切れのいい新谷編集長にしては珍しく、週刊新潮の再度の直撃にも、モゴモゴいうだけである。
週刊新潮の追撃の刃も、中吊りを10年にわたって週刊文春に渡していた出版取次「トーハン」に対しては軟らかい。
「中吊りのことが引き継がれる過程で、弊社社員が文春さんの社員に"騙された"ような格好で、水曜日から火曜日に変更になった可能性もある、と思っています」(取次会社社員)
まるで自分たちも被害者のような口ぶりである。取次が、中吊り広告を水曜日から火曜日に変えるということがどういうことかわからないはずがない。週刊新潮は「トーハン」をもっと追及すべきだ。
また、元文春の編集長だった半藤一利や文春社長だった田中健五が登場して、「受け止めるべきはしっかり受け止めろ」「今回の一件の背景に『週刊文春』編集長に、些かの『傲り』がなかったか」と語っている。
週刊文春で連載している池上彰は「私は、今回の件を全体としてはこう捉えています。文春さん、それはずるいじゃないですか」とやや控えめ。連載を辞めるといえば、週刊文春には大きなショックだったろうが。
「週刊誌の自殺行為」(大谷昭宏)「盗人猛々しい」(碓井広義上智大学教授)など、厳しい言葉が並ぶが、私のような週刊誌のすれっからしには、まあ、バレたんだからきちんと一度謝ったらというしかない。
昔先輩からこういわれた。頭を下げると思うから腹が立つ。尻を上げると思え。
私には週刊新潮の報道を挙って取り上げた新聞、テレビの論調が気になる。週刊文春のスクープは見事だともろ手を挙げていた他のメディアが、今度は手のひらを返したように、週刊文春はとんでもない違法なことをやっていた、ジャーナリズムにあるまじき卑劣な行為だと批判の大合唱。
これまでさんざん週刊文春の後塵を拝してきたから、ここで週刊文春の築いてきた信用や社会的価値を貶めてやろうという「悪意」はまったくないか。
ケースは違うが、フライデーのたけし事件を思い出す。あの頃、フライデーは実売200万部に近づいていた。そこに起きたタレントたちによる傷害事件。被害者だから黙っていればよかったのに、講談社の人間が会見で「これは言論表現を侵す卑劣な行為だ」というような発言をしてしまったのだ。
それに新聞やテレビがさっそくかみついた。「お前たちのやっていることは人権、プライバシー侵害ばかりだ。そんなことがいえるのか」。写真誌批判が巻き起こり、世論がこれに乗った。フライデーとフォーカスは、あっという間に部数を落とし、5誌合わせて600万部ともいわれた写真誌の時代はあっという間に終わりを告げた。
週刊文春にはそうした二の舞にならないようにしてもらいたい。編集長は大胆なだけではだめだ。万が一を常に考える繊細さも要求される。この問題は早くけりをつけるべきである。