2015年・ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した本作は、イランのジャファル・パナヒ監督が自らタクシー運転手に扮し、タクシーの乗客たちの一挙手一投足をダッシュボードに置かれたカメラが捉えていく。
厳しい情報統制下にあるイランの首都テヘランで暮らす人々の悲喜こもごもを描いたセルフドキュメンタリーは、乗客の人生を通してイラン社会の核心へと迫っていく。
巨匠・キアロスタミの愛弟子であるジャファル・パナヒは、カンヌ・ヴェネチア・ベルリンの世界三大映画祭を制覇した名匠であるが、2010年に保守派政権と対立し、2010年3月に自宅拘束され、おまけに反体制的活動を理由に20年間の映画製作禁止令を政府から言い渡されている。しかし、政府の思惑は逆にパナヒの創作意欲を掻き立たたせたようで、彼は無許可で映画を撮り続けている。
女性教師、交通事故に遭った夫婦、老女、パナヒの姪や幼馴染、知人の女性弁護士、と、パナヒは様々な乗客を乗せていく。乗客が、死刑制度について熱論しているのを聞きながら運転しているパナヒ。その表情は肯定も否定も判別が付かず、まるで菩薩のようだ。
そこへ、たまたま海賊版ビデオ業者の男が乗り合わせる。男は母国の名匠の顔を知っており、先客が降りると、おずおずとパナヒに「これは撮影なのではないか?」と尋ねる。それでも、パナヒは、やはり笑っているだけだ。
ほのぼのとした雰囲気が溢れる中、次第に我々は、このセルフドキュメンタリーがただの体裁であることに気付かされる。
乗客のパナヒの姪は小学校の課題で短編映画を作らなければならない。彼女は国内で上映できるルールを読み上げていく。女性はスカーフを被り、暴力は避ける、善人の男にはネクタイを着用させず、名前はイスラム教の聖なる名前を使用する......など。
結婚式を終えた身なりの良いカップルを姪が車内から撮影していると、新郎がお金を落とし、たまたま通りかかった身なりの悪い少年が自分のものにする。姪は、慌てて少年を呼び寄せ、金を持ち主に返すように説得する――善意からではなく、「映画にならない」からだ。
少年少女を通して明るみになるイランの現実がタクシーという小さな空間から暴かれていく。それでもパナヒは穏やかな表情で運転を続ける。「ルール違反」を繰り返してきた稀代の映画作家の穏やかな怒りに、映画の可能性が無限大であることを知らされる。(☆4つ)
丸輪 太郎