声失った「つんく♂」さんの新たな仕事術とは?「食道発声法」に取り組むが未公開

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   2年半前にこう頭がんで声帯を摘出した「つんく♂」さん(48)は、声を失っても音楽プロデューサーとしての活動は続けている。一体どうやっているのか。羽鳥慎一が事務所を訪ね、スマホとPCで聞いた。

   「この事務所では何を?」と羽鳥が聞くと、つんく♂さんはスマホにLINEのメッセージを打って、画面を見せる。「ここではミーティング。ハンコついたり」とあって大笑い。

   壁の一面を埋めたCDラックには約2500枚のCDがあった。つんく♂さんがプロデュースした、あるいは曲作りの参考にしたもの。そこで羽鳥が気になったのが、「山川豊 全曲集」。「参考にされてるんですか、演歌を?」

   「僕が曲を提供させていただいたこともあるんですが、その時に勉強しました」。「ニューヨーク物語り」という曲を作っていた。

   「洋楽もありますね」というと、1枚を抜いて見せた。「この辺は僕の趣味」「これ、聴いたら絶対知ってる」というのが、「POWER STATION」。しかし羽鳥は、聴いても「わからない」と言っていたら、そのうち知ってるメロディーが出てきた。「1分30秒でようやく」(大笑い)

   「社長室」も見せてもらった。ここでは作曲をするという。ギターを持って音を出して見せた。

   つんく♂さんといえば、1992年、ロックバンド「シャ乱Q」のボーカルとしてメジャーデビュー。モーニング娘などの楽曲も手がけ、これまでにプロデュースした数は1800曲以上になる。歌手にイメージを伝えるために、自ら歌うのがやり方だったが、声を失ってこれができなくなった。

歌のニュアンス「文章でも細かく伝える」

「今は、どのようにして歌のニュアンスを伝えているんでしょうか」

   「今は、文章でも細かく伝えるし」とサンプルを示したのだが、羽鳥が「これは難しい」という。ひらがなの歌詞の、どこを伸ばすかが示されているのだが、音がないのだから。

つんく♂「まあ、勿論歯がゆい部分もたくさんあります」「でも、それを乗り越えてアーティストの個性が出てくる面もあります」「今までにはないことですね」
羽鳥「声帯の手術をするのは大変だったと思うんですが......」
つんく♂「直後は本当に大変で」「食べ物が喉に通らないとか」「首も半分ほど切ってるので」「寝てて、起き上がる時に自分で手を添えないと起き上がれない」
今、「食道発声法」に取り組んでいる。
つんく♂「体力も要ります。特に腹筋を」
羽鳥「声が戻ったという様な書かれ方もしましたが」「声が戻ったのではなく、新たなる言葉を伝える方法を習得した」
つんく♂「そんな感じですかね」

   しかしメディアの前では、使わない。「こだわりがあるんですか?」

つんく♂「ゴールがどこにあるか決めてませんが」「ロックスピリッツじゃないけど」「もう少し先に何かが見えてくるんじゃないかな。って」「まだ完璧な感じがしないんですね」

   挑戦は続く。歌手クミコさん(62)の新曲で、作詞家松本隆さん(67)の詩に初めて曲をつけた。「大人のラブソング」だというが、筆談とパソコンを駆使して組み上げた。一度音が出ればわかる。発表会では、つんく♂さんのギターが伴奏した。

生活の拠点はハワイに

   去年、家族とともに生活の拠点をハワイに移した。「一番は健康。少しでもゆったりとした空気感の中で生活できたらと思ってます」「子育ての環境も選択の一つですね」

   さらに「日本の垣根を越えて、世界の皆さんと文化を分かち合いたい」「日本の子供達の想像力とかエンタメ力をアップさせていくような世界を形にしたい」

   羽鳥が「東京オリンピックに関わりたいという隠れた想いが見えたような......」と言うと、爆笑。

   最後に「人生で成功するために必要なことは?」と訊いた。しばらく考えて、「たった一つ、『勇気』 これだけじゃないかと」「人間の欲って永遠」「というより無限か」「人間ってすごいなぁって思うんです」「もちろんリスクがある。だからそれをわかってくれる家族とか仲間がいないと」「その勇気もホンモノにならないんでしょうね」

   スタジオに戻って羽鳥。「今2年半。5年たったら、10年たったら大丈夫と言われるが、戦っている人たちはずーっと不安。だから勇気が大事だと」

   宇賀なつみアナ「私だと外へ向けるかもしれないのを、つんく♂さんはうちへ向けて力にしたんだなと」

   思ったより饒舌だな、が印象。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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