浅田真央トリプルアクセルの真実...「心を強くしてくれる大切なジャンプ」

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   21年間の競技人生に別れを告げた浅田真央の(26)の引退会見。終始笑顔で丁寧に答えていた中で、心を捉えたのはトリプルアクセルへの思いだ。番組も『トリプルアクセルの真実』と題し、浅田が挑んだトリプルアクセル完成への思いを追った。

「伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルが跳びたいと思って、ずっとその夢を追ってやってきたので、自分の強さでもあった反面、悩まされることも多かったです」

   会見でこう語った浅田がトリプルアクセルに出会ったのは小学生の時。伊藤が世界で初めて成功しアルベール五輪(1992年)で銀メダルを獲得した。

小6で初めて成功

   トリプルアクセルは前から踏み込み3回転半を跳んで後ろから着氷する。この時に恐怖を感じて避ける選手が多い。浅田はその技に挑戦し、小学校6年の時に成功したのを今も忘れない。

   「しっかり覚えているのは長野県で行われた野辺山合宿という新人発掘合宿があって、そこで絶対にトリプルアクセルを跳ぶと決めて、初めておりたのが一番記憶にあります」、「目標を達成するとこんなに嬉しいんだなって、また頑張りたいなと思った」。

   その時の達成感がその後の競技人生の大切なモチベーションになったようだ。15歳になった浅田は2005年のGPファイナルに初出場し初優勝を飾った。伊藤の代名詞だったトリプルアクセルは浅田の代名詞にかわっていた。

   19歳の時、バンクーバー五輪(2010年)に出場し銀メダルを決めた。その時を振り返り「10代で若くて本当に気が強くて、その強い気持ちだけで乗り越えてきたという感じがします」。五輪でトリプルアクセルをSP・フリーで合計3回決めたのは、伊藤以来18年ぶりだった。

   そして金メダルへの思いを馳せたソチ五輪。トリノ五輪の金メダリストの荒川静香を育てた佐藤信夫コーチを迎えジャンプの改造に取り組んだ。目指したのはスピードを上げた進化形トリプルアクセル。しかし結果がついてこない日々が続いた。

   2010年/2011年のGPシリーズ・NHK杯は8位、2010年12月の全日本選手権は準優勝にとどまった。低迷する浅田はスケートを止めようと思ったこともあったという。

   それを奮起させたのはやはりトリプルアクセルだった。「トリプルアクセルは自分の心を強くしてくれる大切なジャンプ。もし失敗しても挑戦さえできれば気持ちを強く持って演技が続いけられる」。

文   モンブラン
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