「突然ですが......」とフィギュアスケートの浅田真央さん(26)が昨夜(2017年4月10日)11時頃、ブログで「引退」を発表した。「スケート選手として終える決断を致しました」。とうとうその日が来た。あの華麗なトリプル・アクセルはもう見られない。でも、みんな忘れないよ。バンクーバーとソチでの涙を。
ブログでは、引退を決意した理由を、昨年末の全日本選手権で不本意な結果に終わった後、「それまで自分を支えてきた目標が消えた。気力もなくなった」と書いていた。しかし最後は、感謝の言葉とともに、「私のフィギュアスケート人生に悔いはありません」「人生の中の一つの通過点」「新たな夢や目標を見つけ、笑顔を忘れず前進していきたい」と結んでいた。
衰えは誰の目にも明らかだった。年明けから左ひざ痛を抱えて、練習不十分で臨んだ全日本は、やはり精彩を欠き12位と過去最悪の結果だった。一方、10代の若手が大きく台頭していた。浅田さん自身も、「今の若い子たちはすごい」といっていた。思えば12年前、彼女もそうして登場したのだった。
天才少女と呼ばれ、愛された
1990年名古屋生まれ。5歳からスケートを始め、早くから天才少女として注目された。12歳でトリプル・アクセルを決め、ジュニアのタイトルを総なめにした後、2005年のGPファイナルを14歳で優勝。以来、日本のスケートをリードし、世界女王の座を維持し続けた。
ただ、オリンピックにだけは運がなかった。2006年のトリノでは、規定の年齢に87日及ばず、代表には入れなかった。10年のバンクーバーでは3度のトリプル・アクセルを決めながら、韓国のキム・ヨナに敗れた。銀メダルに流した涙を皆複雑な思いで見た。
次の14年のソチでは、SPで失敗して大きく出遅れた。フリーをどんなに決めても取り返しのつかない失点だった。皮肉にもそのフリーは完璧だった。ノーミスで演技を終えた後、リンクで涙を流した。その思いは世界に伝わった。
しかし彼女は引退しなかった。半年あまりの休養期間を経て、また現役続行して結果も出し続けた。しかし、このところニュースに登場するのは、若手ばかり。中京大のリンクでも浅田さんの姿を見ることは少なかったという。
「戦友たち」からの言葉
浅田さんには「戦友たち」からたくさんの言葉が寄せられた。
「本当によく頑張った。抜け殻状態とはこういうこと...みんなもそんな気分なんだろうな」(村主章枝選手)
「本当にありがとう。お疲れ様でした。真央ちゃんのスケートが大好きです」(織田信成選手)
「21年間、喜びも葛藤もあったでしょうが、生活の全てをスケート中心で考えてきたことに脱帽です」(姉・浅田舞さん)
「人間的にも魅力の詰まった子。引退してもそのままの真央で頑張って」(山田満知子コーチ)
浅田選手の5歳の時の映像があった。あんな時から飛んでいた。そして、オリンピックでの涙のシーン......繰り返される映像にコメントが重なる。
司会の羽鳥慎一「来年の平昌オリンピックを前にしての決断ですね」
青木理(ジャーナリスト)「普通の人の何万倍もの経験を積んでるんだから、これを生かしてほしい」
菅野朋子(弁護士)「悔いがないというのが良かった」
玉川徹(テレビ朝日ディレクター)「ブログの書き方が素晴らしい。心の葛藤が出ている。スケート人生に悔いはない。なぜなら、ソチでやめなかったからだと」
羽鳥「あんな感動する6位ってあっただろうか」
宇賀なつみアナ「素直でまっすぐ。だからこそアイドルなのに身近に感じられる」
羽鳥「そこにいる真央ちゃん」