俳優の渡瀬恒彦さんが一昨日(2017年3月14日)東京都内の病院で亡くなった。胆のうがんだった。映画「仁義なき戦い」シリーズやドラマ「十津川警部」などで、二枚目とも三枚目とも言えるひょうひょうとした味が人気だった。兄の渡哲也さんも「味のあるいい俳優になった」といっていた。72歳は惜しい。
「あさチャン」はスポニチの紙面を見せて、経緯を伝えた。それによると、渡瀬さんは一昨年の夏頃、体調不良で都内の病院に入院。胆のうに腫瘍が見つかった。その年の春に、ドラマの主演を務めていたため、共演者には体調のことを伝えずに撮影に臨んでいた。
症状が明らかになった時、「撮影現場が、僕に力をくれます」と、復帰への意欲を言っていた。その後、5カ月の間治療に専念し、少しづつ仕事復帰を果たしたが、完治せず、入退院を繰り返していたという。
2011年の映像があった。兄の渡さんと共演することになり、カメラの前に並んで座った。この時のやり取りが面白い。
兄「弟さんてお芝居上手ですねと言われます」弟「ということは、兄貴は下手ですね(笑)。兄貴程度の芝居しかできなかったら、とっくに消えていたと思います」兄「兄貴程度ってなんだ?」(大笑い)
空手2段「芸能界でもっとも喧嘩が強い男」
淡路島の出身。兄は青山学院大、弟は早稲田大で、新宿で下宿生活した。共に空手部に籍を置き、心身を鍛えた。兄が日活に入ったのは、弟が勝手に書類を出したからだった。のち弟も俳優の道に入る。渡瀬さんは空手2段で、「芸能界でもっとも喧嘩が強い男」とも言われた。武勇伝はいくつもあるらしい。
司会の夏目三久「一昨年の夏に腫瘍が見つかって、仕事復帰を信じて、この春にもドラマの出演予定があったというんですが、胆のうがんとはどういう病気なんですかね」
竹内薫(サイエンス作家)「他のがんと比べて見つかりにくい。だから、見つかった時は厳しい状況というのが多い。よく頑張って闘病生活送られたんじゃないかと思います」
夏目「残念です」
葬儀は近親者のみで行うという。