東日本大震災の行方不明者は2550人以上。その1人である幼い娘を探し続ける父親がいる。福島・大熊町は福島第一原発から3キロ、今も帰還困難区域だ。明日で6年になる父親の戦いは、父親自身にも生きる力になっていたという。「娘は笑っているだろうな」というつぶやきが重い。
木村紀夫さん(51)はあの日、隣町の職場にいた。大熊町を襲った津波は8.5メートル。自宅周辺で父親の王太朗さん(当時77)、妻深雪さん(同37)、次女汐凪(ゆうな)ちゃん(7)が流され行方不明になった。木村さんが自宅へ駆けつけようとした時、原発事故が発生。周辺は警戒区域とされ、立ち入りできなくなった。「まだ生きているかもしれないのに......」
3カ月後に初めて立ち入りが認められた。まだ放射能レベルが高く、たった2時間だったが、NHKが同行して、防護服姿の木村さんを撮っていた。この時、無残に壊れた深雪さんの車を見つけた。免許証もあった。が、3人の手がかりはない。
その後も、一時立ち入り許可が下りるたびに探した。深雪さんは40キロも離れた沖合で見つかった。父親も見つかった。が、汐凪ちゃんだけが見つからない。木村さんは1人で探し続けた。
汐凪ちゃんのお気に入りの靴が見つかったのは、1年後だった。辺りの捜索を警察に頼もうかと思ったが、やめた。「警察官は若い人が多くて、放射線量が高いので、探してといえなかった」
3年経った頃、支援してくれる人ができた。南相馬市の上野敬幸さん。上野さんも震災で、両親と2人の子供を亡くしていた。両親と長女は見つかったが、長男は不明のままだ。上野さんは「木村さんが警察に頼めなかった、という話を聞いてね」という。
木村さんは長野・白馬村で長女の舞雪(まゆ)さん(16)と避難生活を送っている。あえてまきストーブを使い、「少しでも電気を使わない生き方を。震災がなければこうはならなかった。3.11が生活の一部みたいな」という。
帽子と体操服は見つかったが...
放射線量が減って、入る回数が増えると支援の輪も広がった。汐凪ちゃんの帽子や名前の入った体操服も見つかった。ところが、自宅周辺が、除染で出た土を保管する中間貯蔵施設の候補地になった。木村さんは、今度は国の力を借りる気になった。大規模な調査の際、汐凪ちゃんの捜索を依頼したのだ。
小さな歯が3本見つかった
3週間後の昨年12月、遺品らしいものが見つかったと連絡があった。ミッキーマウスのついたマフラーに、人の骨らしいものがくるまっていた。木村さんは覚えがなかったが、舞雪さんが「マフラーはお揃いでもってたんだよ」と言った。
DNA鑑定で汐凪ちゃんと確認された。
見つかったのは、砂にまみれた小さな歯が3本だけ。舞雪さんは「ホッとした」といった。が、木村さんは「会えたという気持ちになれない。実感がわかなかった」という。気持ちも晴れなかった。
長野に捜索の仲間たちが集まって、今後どうするかを話し合った。ここで木村さんは改めて、探すことが自らの力になっていたのではないか、と気づかされた。「時間がかかったことで、つながった縁がある」。木村さんは今も、大熊町へ通い続け、仲間たちも手伝って、大規模調査で出た土をふるいにかけている。
木村さんは、「汐凪におちょくられているような。そう思えるようになった。今までと違う」という。
作家の天童荒太さんは、遺品を探すダイバーの物語を小説にした。木村さんの6年を、「人間として大切な仕事をしていると思う。子供に会いたいのと同時に、どうして守れなかったのか、という後ろめたさ、罪悪感を持っている。それが愛の証、祈りの声だと思う」という。
木村さんたちが、金網の上に乗せた土の塊を押し潰し、小さな骨のかけらを探す様を見ていると、まるで賽の河原の石積みのようだ。木村さんは今ようやく、「汐凪は、笑っているだろうな」と言えるようになった。6年という歳月が必要だった。
*クローズアップ現代+(2017年3月9日放送「震災6年 汐凪(ゆうな)を捜して~津波と原発事故 ある被災者の6年~」