「毎日うなされていたんです。寝言を言うし泣くし、でも震災のトラウマと思っていた。親の余裕のなさですね...」
福島から横浜市内に自主避難してきた少年を襲った激しい『原発避難いじめ』。原発事故から6年、少年の両親が初めて辛い記憶を涙ながらに語った。
この『原発避難いじめ』は今も広がりを見せ続いている。NHK報道局が早稲田大学などと共同で行った原発いじめに関する大規模アンケート調査でいじめを受けたケースは54人にのぼり、なかには命に係わる事例が明らかになった。
「『ふくいち』というあだ名で呼ばれた」「『4階から飛び降りろ』と言われた」―埋もれてほとんど把握されなかった『原発避難いじめ』。子どもの声を通しその実態に迫った。 (中見出し)両親が初めて明かす
福島原発事故から6年が経た今も、避難を余儀なくされている人は福島県だけで8万人に及ぶ。
その中に昨年秋、原発避難いじめを始めて「告発」した横浜の少年も入っている。原発事故で転職を余儀なくされた父親の都合で横浜市内の小学校に2年生で転校。直後から酷いいじめを受け、まもなく中学2年生になる今も不登校が続き、フリースクールに通っている。
当時のいじめの模様を少年が残した手記をもとに少年の両親が初めてつらい記憶を語ってくれた。少年が残した手記にはこんな記述がある。
「いままでなんかいも死のうとおもった。でもしんさいでいっぱい死んだから、つらいけどぼくはいきるときめた」「みんなきらいだ、むかつく、学校も先生も大きらいだ」
いじめが始まったのは転校した直後から。名前に「菌」がつけられて呼ばれ、鬼ごっこの鬼ばかりさせられた。学校もいじめに気付いていたが、軽いからかい位にしか考えなかったのか継続したケアをしなかった。いじめが終わることはなく、やがて少年は学校に行かなくなった。
一方、両親は父親が転職による慣れない仕事に苦労し、母親も地震で被害を受けた実家の片付けに福島へ行き、いじめに気付く余裕がなかった。そんな両親の姿を傍で見ていた少年はいじめを両親にさえ明かさなかった。
母親は「毎日うなされていたんです。寝語ともいうし泣くし。でもずっと震災のトラウマと思っていた。親の余裕のなさですよね。深く掘り下げて考えることができていなかった」と悔いる。
不登校は5カ月続き、立ち直った少年が再び登校し始めると、いじめはさらにエスカレートしてきた。それでも少年は両親に一切話すことはなかった。手記にはこう書かれている。「いつもけられたり、ランドセルをふりまわされたり、こわくてなにもできなくてほんとうにつらかった」。
母親は「足とかのアザがすごかったんですよ。転んだだけではできない場所にアザがあったり。問い詰めたんですが「転んだ」としか言わなかった」と話す。
「賠償金あるだろう」と150万円脅し取られた
5年生になると事態はさらに深刻になっていった。同級生のいじめっ子らから「賠償金でお金あるんだろう」と言われ遊園地で遊ぶ金を何度も要求されるようになり、その金額は150万円に達した。
手記にはこうある。「教室のすみ、防火扉にちかく、体育館のうら、『人目が気にならないところに持ってこい。賠償金あるんだろう』と言われた」。お金を出せば暴力を受けなくてすむと思った少年は求められるままに払ったという。
これが小学生の悪知恵かと思うと呆れるしかない。自主避難した両親が東電から受け取った賠償金はわずか100万円足らず。雀の涙ほどの金は避難先での生活再建ですぐに使い果たした。少年が持ち出した金は両親が借金返済のために手元に置いていた150万円で、すべてなくなっていた。