私の場合こうだった
近隣住民の言葉にある「奥さんは育児ノイローゼ気味ではないか」というのがキーワードだろう。
私にも3人の子どもがいるが、3人目が生まれたのが40歳の時だったから、彼と同じような年だった。その当時は月刊現代という雑誌の編集次長(組織的には副編集長→編集次長で「編集長心待ち」ポストなどと揶揄されることもある)。
幸い2人の両親が近くにいたため、何かあれば助けてくれるのをよいことに、毎晩午前様どころか、2時、3時に帰宅、4~5時間寝て家を飛び出していった。
週に1回、子どもたちの顔を見ればいいほうだった。今でも何かあるとカミさんが愚痴ることがある。3人の子どもたちが通う小学校の運動会が毎年5月末の日曜日に行われていた。その日は、さすがに朝から見に行ったが、午後2時頃になるとそこを抜け出し、東京競馬場へ駆けつけ、ダービーにありったけのカネをつぎ込んだ。
子どもたちが一番可愛い頃、父親が遊び相手にならなくてはいけないときに、仕事と称して浴びるほど酒を飲み、博打にうつつを抜かしていたのだ。3人の子どもを抱えて辛い思いをしているカミさんのことなど、思ったこともなかった、ひどい亭主であり父親だった。
子育てに疲れ、家庭を顧みない亭主に対しての「怨み」が、カミさんの中には積もり積もっていったであろう。
その後、フライデー、週刊現代編集長になり、ますます家庭を顧みなくなっていった。いま思えば、夫婦の間で何が起きても不思議ではなかった。