羽生善治も勝てなかった天才棋士・村山聖!映画「聖の青春」で再び若者人気

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   将棋界に君臨する天才・羽生善治の「終生のライバル」と言われた棋士がいま人々を捉えている。18年前、がんのため29歳で夭折した村山聖だ。その生涯を描いたノンフィクションやマンガはロングセラーとなっていて、11月(2016年)には映画「聖の青春」が全国公開される。

『名人』最短距離にいながら29歳で夭逝

   村山は幼いころから重い腎臓の病気「ネフローゼ」を抱え、入退院を繰り返した。学校にもほとんど通えず、「小学校3年ぐらいしかちゃんと教育を受けた時期がなかった」(村山と交流があった作家の黒川博行)という。

   将棋には病院のベッドで出会い、やがて名人になることにすべてをかけたいと願い、将棋一色の生活を送るようになった。病と闘いながら驚異的なスピードで昇段を重ね、「将来は名人になるだろうと、仲間の棋士も多分考えていた」(黒川)

   同じころに台頭してきた棋士が羽生善治だった。天才・羽生があらゆる戦法に精通していたのに対し、村山は終盤の驚異的な読みと粘りから「怪童」と呼ばれた。「竜王戦」で羽生を破り、25歳のときには名人の座にあと一歩のところまで迫った。

   ところが、2年後にがんが見つかり、村山は脳に影響が出ることを恐れて抗がん剤治療を拒否した。周囲には重病であることを隠し、朝まで酒を飲んだり、麻雀に興じたりして将棋の勝負に挑み続けた。

羽生「その一局だけに賭ける。普通に生きていたらありえない人生」

黒川「やっぱり『無頼』なんですね。いま、こんな生き方をできる棋士は多分、いません」

   亡くなる半年前、羽生との最後の戦いに望んだ。優位に立って得意の終盤を迎えていたが、病の影響なのか、ちょっとウッカリしたかのような一手を放ってしまい、まさかの逆転負けを喫した。羽生はその時を振り返ってこう語った。

「その一局とか、1回に懸ける。その次があるかどうかわからないという状況は、その時代でも現代でも、普通に生きていたらまずあり得ないですよ。そういう人の感じ方や考え方みたいなものは、胸を打つものがあるのではないでしょうか」

NHKクローズアップ現代+(2016年10月25日放送「伝説 いま再び~夭折の天才棋士・村山聖~」)

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