台湾で崇拝されてるスギウラさんってだれ?病気治し商売は繁盛、宝くじも当たる

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   台湾・台南市でその日本人の名を知らない人はいないらしい。「うちが繁盛しているのもスギウラさんのおかげ」「ヘルニアが治った」「なんでも願いを聞いてくれる」――。杉浦さんとは何者か。聞けば、旧日本軍の戦闘機乗りだったという。

ゼロ戦パイロット!被弾しながら集落はずして墜落死「町を救ってくれた」

   台南市の中心部を外れた郊外の海尾というところに杉浦さんはいた。お寺とも違う。屋根に派手な龍の装飾を施された「廟」とでもいったらいいのか。「鎮安堂・飛虎将軍」と大書してあった。「飛虎」とは戦闘機の事だという。軒下には「歓迎 日本国の皆々様 ようこそ参詣にいらっしゃいました」と日本語で書いてある。

   入ると正面に祭壇があって、そこに3体の人形(?)がある。これが「スギウラ」さんだという。スピーカーからは「君が代」が流れてきた。「このあたりの神様なんです」

   スギウラさんとは旧日本海軍の杉浦茂峰少尉のことで、当時20歳だったという。零戦のパイロットだったが、昭和19年10月、台南市上空で米軍機に撃墜された。海尾の集落に落ちるところを機首を立て直し、集落のはずれに落ちた。「パラシュートで脱出もせず、町を救ったんだ」

   目撃したという88歳の女性がいた。「墜落してしばらくはまだ生きていました。まもなく息を引き取ったんです」と話す。1971年に町の人たちが杉浦さんを祀る小さな祠を建立した。以来、「友人が時計がなくなったからスギウラさんに聞いたら見つかった」「店が閑古鳥が鳴いていた時、スギウラさんに相談したらすぐに客が来た」「宝くじの当選番号のお告げがある」という騒ぎになった。「信者」は200人から1万人に急増したという。

小学校の教科書にも登場し替え歌まで

   お告げはどう伝えられるのか。男性2人が持っている木の椅子に来るという。待つうちに、2人が急に椅子を引っ張り合い始めた。椅子の先がテーブルに触れるか触れないか、何かを書いているようにも見える。すると、この廟を管理する男性が「祖国日本に帰ります」とお告げを読んだ。

   お告げは、降霊、文字を書く、読み取る、みなに伝えると順を追うらしい。今回は72年ぶりの里帰りになった。そして21日、「鎮安堂飛虎将軍日本国溯源之旅」一行30人が、スギウラさんの木像を抱えて日本へ向かった。杉浦さんは茨城・水戸の出身だ。

   成田へ着いた一行はそのままバスで水戸へ。22日(2016年9月)はちょうど秋祭りの最中で、スギウラさんの木像は神輿に乗せられて町を練り歩いた。23日は母校の五軒小学校を訪問。その後、もう1つのお告げ、「富士山を見たい」という望みを叶えて、木像は27日に台湾へ戻る。

   司会の羽鳥慎一「歴史の悲しいお話かなと思ったら、途中から急に明るい話になって」(笑)

   取材した野上慎平アナが解説した。木像は全部で4つあるのだが、全部スギウラさんで、3つは分身。お祝い事であちこちに出張することがあるのだそうだ。忙しいらしい。

   羽鳥「地元の人は本当に来てもらいたいと思ってるですね」

   青木理「こんな例は他にないでしょうね」

   野上「80年代には撤去の話もあったのですが、地元が守り抜いたのだそうです。教科書にまで載ってます」と小学3年生の教科書を見せた。「命を捨てて、町を守った」と漫画で載っている。小学4年生は「赤とんぼ」の替え歌で、スギウラさんが歌われていた。

   青木「で、宝くじは本当に当たるの?」

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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