小学校の教科書にも登場し替え歌まで
お告げはどう伝えられるのか。男性2人が持っている木の椅子に来るという。待つうちに、2人が急に椅子を引っ張り合い始めた。椅子の先がテーブルに触れるか触れないか、何かを書いているようにも見える。すると、この廟を管理する男性が「祖国日本に帰ります」とお告げを読んだ。
お告げは、降霊、文字を書く、読み取る、みなに伝えると順を追うらしい。今回は72年ぶりの里帰りになった。そして21日、「鎮安堂飛虎将軍日本国溯源之旅」一行30人が、スギウラさんの木像を抱えて日本へ向かった。杉浦さんは茨城・水戸の出身だ。
成田へ着いた一行はそのままバスで水戸へ。22日(2016年9月)はちょうど秋祭りの最中で、スギウラさんの木像は神輿に乗せられて町を練り歩いた。23日は母校の五軒小学校を訪問。その後、もう1つのお告げ、「富士山を見たい」という望みを叶えて、木像は27日に台湾へ戻る。
司会の羽鳥慎一「歴史の悲しいお話かなと思ったら、途中から急に明るい話になって」(笑)
取材した野上慎平アナが解説した。木像は全部で4つあるのだが、全部スギウラさんで、3つは分身。お祝い事であちこちに出張することがあるのだそうだ。忙しいらしい。
羽鳥「地元の人は本当に来てもらいたいと思ってるですね」
青木理「こんな例は他にないでしょうね」
野上「80年代には撤去の話もあったのですが、地元が守り抜いたのだそうです。教科書にまで載ってます」と小学3年生の教科書を見せた。「命を捨てて、町を守った」と漫画で載っている。小学4年生は「赤とんぼ」の替え歌で、スギウラさんが歌われていた。
青木「で、宝くじは本当に当たるの?」