豊洲新市場の地下空間を誰が決めたのかはいまもってわからない。歴代の市場長が「知らなかった」というのだから異常だ。元をたどると、なぜ移転先を東京ガス工場の跡地にしたのかにもいろいろ奇妙なところがある。「モーニングショー」は東京ガスと交渉に当たった濱渦武生・元副知事のインタビューをスクープした。
濱渦氏は石原都政の初期に、都議会と都職員の抵抗を矢面に立って対応した実力者だった。都議会から副知事就任を拒否もされたが、石原知事の信頼はあつく、2005年に「やらせ質問」で更迭されたときも、石原氏は「これだけの人材はこれからもいないだろう」と評価したほどだ。
大盤振る舞いで江東区長を抱き込み東京ガスと交渉
石原氏が築地移転の必要を言い出したのは当選後、築地を視察して、「古い、狭い、危ない」と言ってからだ。東京ガスが持っていた豊洲を候補地に、別の副知事が交渉に入ったが、東京ガスから「受け入れがたい」と拒否された。東京ガスは「都心近接・オーシャンビュー」「付加価値の高い都市開発をすべき立地」「土壌処理や地中埋設物の除去が必要」としていた。つまり、市場にするにはもったいない景観と交通の利便性を売りにしながら、汚染問題も理解していたわけだ。
ところが、その1年後の2001年7月、両者は市場移転の基本合意に達する。合意の署名は濱渦副知事と東京ガスの副社長だった。この間の経緯を濱渦氏は次のように語った。交渉が難航していたので石原知事の指示で交渉を担当した。まず江東区長(故人)に声をかけ、区長は「橋が5本」「観光施設」「環状2号線を含む道路」が欲しいといった。これを了承したことで、区長は東京ガスに「市場の方がいい」と意見を出し、東京ガスはようやく交渉のテーブルに着いた。
当時の豊洲の航空写真があった。橋は1本もない。それが2006年のを見ると、見事、5本かかっていた。環状2号線も含めて区長の要望通りになっている。濱渦氏は「知事から『やれ』と言われたからやった。前任者は度胸と腕力がなかった」と話したそうだ。
譲渡後に汚染発見されても都が対策費用
その後、都と東京ガスは「豊洲地区整備に係る合意」(02年)と「豊洲地区用地の土壌処理に関する確認書」(05年)という2つの合意を交わしている。が、ここで都は重要な譲歩をしていた。1つは土壌汚染の調査の仕方だ。03年からの新ルールでは、10センチ四方に1か所となっているのを、旧ルールのままの「30センチ四方に一か所」とした。もう1つはさらに重要で、「東京ガスの汚染対策の後、新たな汚染が見つかっても東京ガスに処理や費用負担の義務なし」となっていた。
そうして07年3月に土壌汚染対策工事(102億円)を完了して、土地は都に引き渡されたのだが、翌年5月に都が新ルールで調べてみたこところ、環境基準値の4万3000倍のベンゼンなど有害物質を検出された。慌てた都は11年、改めて土壌汚染対策をスタートさせたわけだ。さすがに東京ガスは78億円を出したが、都の対策費は780億円にもなった。
なんでこんなに不利な条件を都はのんだのか。これについて濱渦氏は「自分の仕事は東京ガスを交渉のテーブルにつかせるまで。あとは都の職員が決めた」という。
濱渦元副知事まるで他人事「当時は取得費は百億円単位。誰かがつり上げた」
吉永みち子(作家)「こんなにも安全性をないがしろにして、これだけのお金をかけてまで、豊洲を使わなければならない理由が理解できないですよ、いま思うと・・・」
司会の羽鳥慎一「広さ、立地、利便性というのですがね」
長嶋一茂(スポーツプロデューサー))「ベンゼンなんて急に出たわけじゃなくて、もともとあったわけでしょ。これが 一番問題じゃないかな」
玉川徹(テレビ朝日ディレクター)「780億円だって、東京ガスが払うべきものですよ」
その土地の値段は1859億円だった。不動産鑑定士は「まあ妥当だ」という。ただ、汚染対策費は「東京ガスが負担すべき」と指摘したが、濱渦氏は聞き捨てならないことを言った。「当時は(購入費は)何百億円という単位の話だった。誰がつり上げたか知らんけどね。汚染してた土地なのに高いですよ」
オレが交渉したと言いながら、都合が悪いことはまるで他人事だ。