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大橋巨泉さんの「お別れ会」・・・気丈な寿々子夫人と手を取り合って少し泣いた

   9月5日(2016年9月)に大橋巨泉さんの「偲ぶ会」が品川のグランドプリンスホテル新高輪・国際館パミールで開かれた。新聞発表では出席者600人。5時からお別れの会。弔辞はホリプロの堀威夫氏、河野洋平氏、王貞治氏、関口宏氏。続いて献花。献花して「ありがとうございました」と巨泉さんの遺影に挨拶した。本人が気に入っていたという中央の写真は優しく私を見つめていた。

   妻で喪主の大橋寿々子さんは気丈に挨拶に来る人たちと話していたので、少し元気になったのかなと思って見ていた。行こうかと思ったが、来る人が途切れないので遠慮した。寿々子さんは挨拶で「主人はわがままな人でしたがとても優しかった」と語った。

   宴会場へ入る長い列が進み、出席者に挨拶する寿々子さんと弟の哲也さんと目があった。寿々子さんのほうから「元木さん!」と声をかけてくれた。手を差し出して私の手を握ってくれた。少しやつれが出た顔は今にも泣きそうだった。私も少し泣いた。

   宴会場で河野さん、関口さんたちに挨拶。帰りにもらった「御礼」にはこう書いてあった。少し長いが、巨泉さんの思いが詰まっているので紹介したい。

「故人は1934年当時の東京市本所区東両国(現墨田区両国)に生まれ、国の皇民化教育を受け軍国少年として育ちましたが、1945年8月15日の敗戦により価値観の大転換を余儀なくされました。『価値観の転換は一生に一度で沢山だ』というのが故人の口癖でした。
以来、数百万人の命と引き換えに得た『平和』と『自由』を守ることを第一義とし、70年間ブレる事無くその価値観を貫いてきました。
故人は『人間が自由である限り他人の意見を尊重するが、無知や嘘や欲得で意見を変えるのは許せない』として、大切にしてきた週刊現代のコラムの『今週の遺言』の最終回でさえも戦争の愚かさを説き、日本を戦争に向かわせようとする安倍総理に異を唱えました。
近年、自分の価値観を簡単に変える人が居ますが、敗戦で得た『平和と自由を守る』とする価値観を70年間に亘って主張し続けた故人を誇りに思っております」

   あの巨泉さんにしてこの妻あり。せめて安倍政権崩壊まで見届けてほしかった。合掌。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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