「シン・ゴジラ」国威発揚映画だった!自衛隊がミサイルぶっ放し、米軍が東京で核攻撃だぜ
きのう25日(2016年8月)、TOHOシネマズ日本橋で映画「シン・ゴジラ」を見た。というのも、週刊新潮が興収100億円が見えてきたと特集していたからだが、なるほど18時50分開演で9割方が埋まっていた。
ゴジラ映画を見たのは1954年の初登場した時以来だろう。以来28作も作られ、いずれもヒットしているというが、私は一本も見ていない。ゴジラとかキングコングというのは、どうも私の性に合わないのだ。
今回のは強力な敵が出てくるわけでもなく、ゴジラのすさまじい破壊力をCGを駆使して再現しているわけでもないらしい。どんなところに見所があるのかと見に行ったのだが、ひと言でいうと、主役はゴジラではなく、首相官邸を中心とした危機管理を担う人間たちのドラマであり、自衛隊さんありがとう、アメリカ軍よありがとうという国威発揚映画であった。
ゴジラの動きは狂言の野村萬斎が演出したそうだが、たしかに動きは優雅で鈍く、始めにちょこっと暴れるが後はほとんど一所に立ったままである。それもCGを使ってはいるのだろうが、東京の町をぶっ壊すゴジラの映像は、初期の映画から持ってきたのではないかと思うほど迫力がない。
では、どこに今回の映画のおもしろさがあるかというと、この「巨大不明生物」の出現により、大慌てする総理大臣たちや何とか食い止めようとする役人、科学者、アメリカから派遣されてきたという日系人の米国大統領特使などの群像ドラマである。
週刊新潮で元内閣参事官の高橋洋一氏が「私は官邸の中にいたのでそれがどれぐらい忠実に再現されているか観察しました。75%は再現されていたと思う」と語っているように、政治家や役人たちが交わす機関銃のようなセリフなどは、樋口真嗣監督が綿密な取材をしたとあってリアルである。
ゴジラに警察力では敵わないと分かった時点で、防衛相が「武器の使用が制限されない自衛隊の防衛出動」を促すところは、有事の際、法改正を待っていたら間に合わない、安倍政権ならやりかねないと思わせて苦笑させる。
もっと驚くのは、自衛隊のミサイル攻撃でもゴジラが倒れないとなると、アメリカは都内にいるゴジラへ核攻撃を決断するのだ。それも国連安全保障理事会で承認されたというのである。広島、長崎に続いて、東京に核を打ち込み、東京中を死の灰で覆ってしまえというのだから、ここまでいくと、これは映画だからと笑って見ているわけにはいかない。
自衛隊全面協力の国策映画。ゴジラは北朝鮮であり、中国なのかもしれない。そうした事態が起きた場合、国家総動員法で国民には知らせることなく、日米の首脳は、躊躇うことなく国民を大量に犠牲にしても核攻撃を仕掛ける。
ゴジラは時代生み出す。水爆実験で目覚めたゴジラは、大震災が起こり、北朝鮮や中国の軍事的脅威が囁かれるなかで、日本という国がどう対処する国なのかという暗示を与えてくれているのかもしれない。それは監督の意図とは関係ない「神の啓示」のようなものだと、帰りながら思った。