千代の富士死去「苦しむことなく家族に看取られて息を引き取りました」(秋元梢)

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   元横綱千代の富士の九重親方がなくなったのはきのう31日(2016年7月)午後5時11分、都内の病院だった。次女でタレントの秋元梢はSNSに、「最後は苦しむことなく、家族全員に看取られて息を引き取りました。父の娘に生まれて幸せです」と書いた。

   遺体は午後8時、東京・墨田区の九重部屋に戻った。部屋付きの佐ノ山親方(元大関千代大海)は「本当に急なことなので、なんと答えていいかわからない」と涙ぐんだ。「だんだん顔も痩せていく師匠を見ながら、なんとか元気になってくれることだけを信じていました」「血の繋がりはないですけど、本当に自分の父親だと思っていました」「みんなでご遺体に触って、ありがとうございましたとお礼を言ったところです」

北の湖を破って世代交代、貴花田に敗れて世代交代

   手術を受けたのは昨年(2015年)7月だった。自覚症状もなく元気だったが、健康診断で見つかった。還暦の土俵入りも執り行い、部屋の力士に稽古をつけ、ちゃんこを突つく姿があった。しかし病魔は強い肉体をも蝕んでいた。

   角界から惜しむ声を2つ。貴乃花親方(元横綱貴乃花)は「鋼の肉体に額を恐る恐る当てたことを忘れてはいません。下積みの時代に横綱から『早く上に上がってこい』と激励のお言葉を賜ったことも忘れてはおりません」。浅香山親方(元大関魁皇)は「九重親方の1000勝は、私のものと比べるものではない。あの体で大きな相手を倒したのはすごいですよ。レベルが違います。本当に悲しいです」

   「ウルフ」の名がついたのは1981年1月場所で、無敵だった横綱北の湖を関脇千代の富士が破って初優勝した時だった。25歳。この年、一気に大関から横綱に上りつめた。89年に国民栄誉賞。90年に当時は前人未到だった1000勝を達成し、幕内807勝は歴代3位だ。

「子供がいるから優勝したいと思う」

   司会の羽鳥慎一「強い横綱のイメージですよね」

   石原良純(タレント)「肉体が関取じゃなくて、関取の概念を変えた」

   住田裕子(弁護士)「アスリート。女性ファンを一挙に増やした美しい横綱」

   キャスターの宇賀なつみまでが「私は知らないんですけど、(VTRを見て)かっこいいですね」

   そのVTRは初優勝の対北の湖戦(81年1月場所)、31回目の優勝を決めた対旭富士戦(90年11月場所)と、引退の引き金になったという貴花田に敗れた1戦(91年5月場所)だった。

   羽鳥「(貴花田戦は)世代交代を示した一戦でしたね」

   玉川徹(テレビ朝日ディレクター)「時代が変わったと感じましたよ。私は大学生だったが、格闘技で戦ったら誰が一番強いんだろうと、落ち着くのは千代の富士だった」

   31回目の優勝の時、賜杯を持つ千代の富士は、まだ生まれて9か月だった梢を抱いていた。のちに徹子の部屋で「子供がいるから優勝したいと思う」と語っていた。しかし、この後、優勝はなかった。貴花田、若花田(のち若乃花)に敗れ、35歳で引退し、その時の一言が「体力の限界」だった。

   通夜は6日(土)、告別式は7日(日)、九重部屋で行われる。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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